朝日新聞「参院選を終えて 本当の敗者は『既成政党』」(1992年7月28日付朝刊1面) [朝日新聞に出した手紙]
朝日新聞 政治部長・小栗敬太郎
物事は時間がたつと別の顔が見えてくるものです。「自民党復調、社会党不振」で終わった参院選開票のあわただしさから一夜明けて、本当の勝者は「棄権党」だったと気づきました。なにしろ、有権者の2人に1人が棄権したわけで、「得票率」は50%。第1党と力んでも5人に1人前後の支持しかない自民党も顔色なしの圧勝です。
それでは、負けたのはだれなのでしょうか。世界が冷戦を超えて進んでいるのに、その現実にふさわしい政治の質をつくり出せない既成政党。その冷戦型発想にこそ、主権者は反省を求めている。そんな気がしてなりません。
選挙の争点が国連平和維持活動協力法(PKO協力法)だった、というのはどの程度本当でしょうか。序盤には社会党が「PKOで国民の審判を仰ぐ」といっていました。終盤になると、入れ替わりに自民党が同じことを主張し始めました。
形勢次第で都合のいいように争点を変えるのは政党の常。その思惑は別にして、PKOはやはりこんどの選挙最大のカギでした。
といっても、PKO法の内容そのものに国民が手放しの信認を与えたという理解は単純すぎます。「冷戦後という海図のない海域に入った日本のカジ取り能力をだれが持っているか」に国民は目を凝らしていたのであり、PKOは格好の試金石だったと思うのです。
PKOをめぐって国論が「憲法か国際貢献か」に二分された、との図式は正確でありません。「憲法も国際貢献も」ということでは、幅広い常識がありました。その方法がはっきりしなくて、迷っていたというのが、正直な実感でした。
こんなもどかしさをどの政党が明確な言葉に表し、両立させる方法を政策にまで鍛え上げて提示してくれるか。国民はその競争に期待していたはずです。
そのテストで、自民党は自衛隊に頼るという安易な答案を示しました。社会党は「息子を戦場に送るな」という、昔ながらの決まり文句で答え、牛歩や議員辞職騒ぎのだめ押しまでしました。
ことはPKOに限りません。国内も国際も、政治も経済も、わが国が直面している課題は、イデオロギーの刀1本で裁断するにはあまりにも複雑になっています。
これまで与野党は互いに相手の動機や目的を全面的に否定しあう論争を繰り広げてきました。これからは、物事の優先順位やバランスをとる方法の有効性を競う時代に入ったといっていいでしょう。
民主政治は、複数政党が存在して、自由に選挙で国民の支持を争うことが必要条件です。しかし、それだけでは十分ではありません。政権交代が不可欠です。少なくとも、野党が本気で政権をとろうと挑戦しない限り、形だけの民主主義といわざるを得ません。
政権交代のある政治に近づくには、脱冷戦時代にふさわしい新しい政治の対抗軸をすえることが第一歩でしょう。生産中心か消費中心か、高福祉高負担か小さな政府か、などなど。どのような対抗軸を設定すれば国民の気持ちを引きつけるか、それこそが政党にとっての知恵比べでしょう。
野党が「自民党の行き過ぎにブレーキをかけていればいい」という、抵抗政党のタコつぼにこもっていては、いくら誇るべき憲法があるといっても、民主主義は片肺です。
野党の責任は重大です。「冷戦ボケは自民党も同罪」と、澄ましていては困ります。野党が与党を超えない限り政権交代は起きません。ボクシングでも、引き分けではタイトルは取れません。それが挑戦者の宿命というものでしょう。
実は、脱冷戦時代の政治のテストは、3年前に始まっていました。参院選挙で自民党が大敗して始まった「衆参ねじれ」状況がそれです。
社会党が安全保障、外交など基本政策の見直しに取り組み、影の内閣を発足させたのは、それを意識してのことと承知しています。それが根付かないまま、PKOへの反射運動のように、冷戦型極限対立のわだちに「先祖返り」してしまった観があります。こんどの敗北から何を学ぶのか、党内論議を注目したいと思います。
自民党は敵失で救われました。この調子で3年後の参院選にもう一度勝てば、衆参ねじれは解消して「世はこともなし」というのでしょうか。投票所に背を向けた少なくない国民の胸中に、政治システムそのものへの幻滅、既成政党への愛想つかしがうごめいていることを恐れないでいいかと、他人ごとでなく心配します。
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