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日本人はどうして英語ができないか [英語教育]

 11年前、朝日新聞の「論壇」に投稿したけれど、載らなかった文章です。

【1997年8月10日】- 6月下旬、文部省の中教審は、大学受験から英語をはずすよう提言した。受験英語は英語嫌いを生み、入試が終わるとすぐ忘れるからという。

  日本は、不思議な国だ。教育の問題は、何でも入試のせいにされる。いじめも登校拒否も、受験のせい。英語ができないのも、入試のせい。神戸の事件でも、中学生が逮捕されたので、受験のためだと言う人がいる。他の国に、入試はないのか。

 ある。ほとんどの国で、入学試験をしている。受験競争もある。それなのに無責任な人達は、日本にしか受験がないかのようなことを言う。

 教育問題の原因は、入試にあるのではない。文部省もマスコミも学者も、何十年も受験を諸悪の根源にしてきた。的はずれな議論をしてきた。これでは、教育はよくならない。

 では、なぜ日本人が英語ができないのか。正確に言うと、なぜ英語ができる日本人が極端に少ないのか。答は、単に勉強が足りないからだ。

 単語をしっかり覚え、文法を学び、十分に練習すれば、外国語はできるようになる。多くの日本人は、単語もしっかり覚えていないし、文法もちゃんと分かっていない。練習も足りない。だから、英語ができない。

 一般に「日本人は、文法は得意で、読むことならできる」と言われているが、これも神話だ。実際には、文法がほとんど分かっていない。だから、単語もなかなか覚えられない。本当は苦手なことを得意と言い張っていては、英語のできる日本人を増やすことはできない。

 実は教師は、文法をしっかり教えていない。英語に限らず、語学教師は、説明が下手だ。理路整然と説明しない。ちゃんと説明しないで文法用語を多用するから、生徒には、文法ばかり教わったという印象が残る。

 生徒の大半は、文法用語が分かっていない。用語が分かっていなければ、説明も理解できない。だから、いつも勘で英語を訳すことになる。

 ペーパー・テストなら勘でごまかせるが、会話は勘ではできない。一流大学を出ても、簡単な会話もできるようにならない。こうして、「文法ばかりやったから、会話ができない」という神話が、できあがる。

 文法の必要性は自明なのに、文法を不要とする俗説がまかり通っている。中教審も、文法の重要性を認識していないようだ。

 外国語学習の基礎になる文法を学ばずに、どうやって読解や会話に熟達するのか。文法は、数学の公式のようなものだ。言語を成り立たせている「基本法則」だ。文法をいらないものと仮定して議論したのでは、有効な対策は立てられない。

 また、読解と会話を、別個のように言う人がいるが、おかしい。同じ英語である。文字でなら分かるのに、音声では分からないということはない。会話ができないのは、読み書きがちゃんとできないからだ。

 話しは、展開が早い。早く読めるようになっていないと、会話にはついて行けない。いつも勘で読んでいるから、耳のそばを音声が素通りする。話そうとしても、言葉が出てこない。会話ができないのは、読解ができないからだ。

 つまり原因は、大学受験にではなく、中学・高校の教育にある。中高で、文法を基礎から教え、教科書をじっくり読ませなくてはならない。音読の練習をしっかりしておかないと、英語は口から出てこない。

 教師の側だけに、問題があるのではない。生徒にも問題がある。英語を熱心に勉強している生徒は、少ない。一般的に日本の子供は、点数と成績のためには勉強するが、身につけようと気持ちでは勉強しない。教師が頑張っても、生徒が熱心でなければ、英語はうまくならない。

 それなのに中教審は、「入試が英語嫌いを生む」と主張している。もしそうなら、付属高校から大学に進学した者は、英語が好きなはずだ。そういうデータを示してもらいたい。なければ、ただの言いがかりだ。

 外国語は、簡単にできるようにはならない。何年も勉強して、やっとできるようになる。このことが分かっていない人は、すぐ「受験が悪い」とか「教科書が駄目だ」と、的はずれなことを言う。努力した者だけが、報われるのだ。

 根本から変えないと、小学校から英語をやっても、何にもならない。文部省と中教審のしていることは、教育の改革ではなく、破壊である。


タグ:英語教育
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