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筑紫哲也が死んで、どうして悲しいのか [*マスコミ]

【2008年12月07日に公表、09日に加筆】- 朝日新聞の編集委員からテレビのニュースキャスターに転身した筑紫哲也が11月7日他界し、今日しのぶ会が行われた。

 死亡した直後のテレビは、見るに堪えなかった。日本を破壊しようと企んだ左翼を称え、その死を悼んだからだ。

 テレビに長く出た男だから、テレビ局の人間が惜しむのは分かるが、まるで善人が亡くなったかのような言い方はどうかしている。私はテレビを見ていて、寒々とした気持ちになった。嘘を言い触らして、共産革命を起こそうと企んだ男を称えるということは、テレビの連中はまだ左翼妄想に囚われているのだと思ったのだ。

 ワイドショーが大きく取り上げるのはまだ仕方がないとしても、テレビ朝日の『情報ステーション』がトップ項目として長めに(10分くらいか)扱ったのには、驚いた。筑紫の死亡はそんなに重要なことなのか。

 テレビ局の連中は、筑紫がいなくなったから左翼報道が減ってしまうと心配したのか。それとも筑紫を称えて評判をよくしておいて、困ったことがあったら「筑紫さんもこう言っていた」と言葉を引用しようと思ったのか。いずれにしても解せない番組作りだ。

 筑紫の訃報を聞いた時、私は複雑な気持ちになった。人が死んだのだから悲しいことは悲しいが、あんな悪人はいなくなってよかったとも思った。だがその人間の犯した罪を思い出すと、簡単に喜ぶこともできない。人を何人も殺した死刑囚が、処刑されたと聞いた時と同じような気持ちになった。

 筑紫は他の人なら苦々しい顔をしながらやっと言うような悪質なことを、涼しい顔をしてサラッと言ってのけた。デタラメを言うことに躊躇していないようだった。

 そんな悪人を称えるテレビ局は、コマーシャルが減っても全く反省していないのだろう。日本は共産マスコミにこのまま潰されてしまっていいのか。


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