カルマの法則を恐れることはない [神道とスピリチュアリズム]
【2009年10月01日】-前回はカルマの法則を説明した。それを読んで怖くなってしまった人もいるだろうから、今回は補足したい。
まず「ひどいことをしたら必ず悲惨な死に方をする」と思った人がいるかも知れない。そんなことはない。人を殺したり大怪我をさせたら非業の死を遂げる確率は高くなるだろうが、悪口やサボリくらいなら死に際が悪くなることは少ないと思う。
カルマを作って起こることは、病気、喧嘩、事故、落とし物などの方が多いと思う。カルマと結果の種類を四つに分けてみた。
1. 因果関係がはっきりしている場合
食べ過ぎて太ったり、タバコを吸い過ぎて肺癌になるのは、原因と結果がはっきりしていて、「カルマの法則」などと言わなくても誰にでも分かる。
また、嘘をついてばかりいて信用されなくなるのも、因果関係がはっきりしている。
2. 小さな不正が惨事を生む場合
いつも車を乱暴に運転している人は、そのうち事故を起こすだろう。いつもタバコの火をちゃんと始末しない人は、タバコで火事を出す確率が高いだろう。いつもしている小さな不正が、惨事を生み出すことがある。これも分かりやすい。
3. 似た被害に遭う場合
泥棒が泥棒されたり、詐欺をした人が別の人に詐欺をされたりすることもあると思う。騙した人に騙されるのなら 1 のように因果関係ははっきりしているが、自分が迷惑をかけた訳でない人に同じようなことをされたら不思議だ。この世にはそういうことがあると思う。カルマの法則が働いている訳だ。
4. 全く違うことが起きる場合
悪口を言い続けていたら病気になったとか、人を騙したら借金を作ったとか、行為と結果に直接の関係がない場合もある。これは全く不思議だ。カルマの法則を知らない人は、両者に関係があるとは思わない。悪いことをした直後にひどい目に遭った場合は、関係があると見た方がいい。
・神が引き起こす
なぜこのように不正は不幸をもたらすのか。神や守護霊が引き起こすのだと思う。目的は反省させるためだ。前にも書いたが、この世は魂が修行する場なので、辛い目に遭わせて悪いことをしないように守護霊などが不幸を起こすのだと思う。
特に 3 の場合は、人に加えた害を自分が受けるから反省になる。反省させるためだから、不幸は罰ではない。わざとらしい言い方だが、「愛の鞭」と言ってもいい。神や守護霊は、人間が成長するように辛い目に遭わせるのだ。
悪い行為や悪い言葉だけでなく、悪い気持ちもカルマになるので、人をむやみに嫌ったり恨んだりするのもよくない。
「カルマ」は元々「行為」という意味だから、悪いことばかり起こすのではない。善行や善言を積めば、いいことが起きる。人に親切にすれば、その人に恩返しをしてもらえる。世に尽くせば長生きできるだろう。悪因は悪果をもたらすが、善因は善果を生むのだ。
カルマの法則などあまり気にせずに、他人の幸せを願いながら明るく生きていくことが大切だ。
・参考資料
http://yuratofurue.com/ja/ja111.htm
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