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自転車好きの谷垣禎一は、渋々政治家になったらしい [政治家]

【2009年11月17日】-もう2週間も前になるが、自民党の谷垣禎一総裁は11月3日、大阪から全国行脚を始めた。午前中は自転車に乗って、大阪の街を走った。日本サイクリング協会の会長をしているくらいだから、自転車が好きらしい。午後は読売テレビの『ミヤネ屋』に出演した。司会者が宮根誠司なので、このような番組名だ。

 谷垣は同番組で、経歴について面白いことを話したので書くことにした。

 1945年に生まれ、麻布高校から東大法学部に進んだ。正確に言うと、文Ⅰに入学して法学部に進学したはずだ。

 72年に卒業したから、東大に8年もいた訳だ。経歴は見たことがあるが、何年在籍したのか計算はしなかった。

 宮根に「どうして8年もいたのか」と尋ねられて、谷垣は照れ臭そうに「山登りばかりしていて」と答えた。登山が好きでも、4年で卒業できたはずだ。家計に余裕があるから、のんびりしていたのだろう。

 谷垣は大学を卒業してから、弁護士を目指して司法試験を受け始めた。79年に合格したから、7年かかった。その後、司法修習所に2年通って、82年に修了した。(修了したのが3年後なのは、合格発表は11月で、翌年の4月から修習所に通うからだろう。)司法修習を終えた時は、37歳になっていたはずだ。この年まで常勤で働いたことはなかったのだろう。

・懇願されて政治家に
 父親は83年6月27日に急死したので、出馬を要請され、8月7日の補選で当選した。弁護士をしていたのは1年数ヶ月だろう。いわゆる世襲議員だが、それについて谷垣は次のように話した。

 「政治家にはなりたくないが、仕方なくなった。オヤジは『政治家は世襲するものじゃない』と言っていたし、私も弁護士を続けるつもりだった。だがオヤジが急死したので、補選に誰か立てなくちゃいけない。後援会長が『父親を尊敬していないのか』と言うから『してますよ』と答えた。『そうなら出馬してくれ』と口説かれちゃった。」

 出演していたジャーナリストの高野孟は話を合わせて、「後援会が親族を出馬させることが多いんですよ」などと言った。

 つまり谷垣は渋々政治家になった訳だ。この番組ではそう話したが、本当にそうだとは限らない。

・意欲を示せ
 元々政治家になりたくなかったからか、この番組で谷垣は自民党の総裁としてどう党を立て直したいか、どうやって政権を奪還するのか、ひいては日本をどう作り替えたいのか、意欲や見通しは殆ど語らなかった。谷垣は森喜朗が野党時代の繋ぎとして選んだから、やる気がないのか。

 ここまで書いておいたら、谷垣は11月15日東京都昭島市で自転車に乗っている時転倒し、数針縫うケガをした。16日は山形県で党員集会などに参加する予定だったが、キャンセルした。偉い人は自動車も運転しない方がいい。

 15日は、野党に転落してから初の結党記念日だというから、自民党は運が悪い。

 谷垣は身長176センチで、体重は80キロだから大柄なのだが、「テレビでは小柄に見える」と宮根と話していた。普段の報道は政治家の趣味などは取り上げないので、スポーツマンだとは分からない。データはウィキペディアの「谷垣禎一」の項目からも補った。(敬称略)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%9E%A3%E7%A6%8E%E4%B8%80#.E7.95.A5.E6.AD.B4

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