荻野友花里さんの不合格に触れず、同情を誘うメディア [*マスコミ]
【2010年01月10日】-昨日エントリーを書いてから、メモ用紙を眺めていたら「おぎの 6月教育実習」とあったので、ふと考えた。
マス・メディアは何度も「荻野さんは教師を目指していた」と言った。だが就職についてはそれだけで、教員採用試験に受かったとも落ちたとも言わなかった。
調べてみたら、兵庫県も教員採用試験の1次試験を7月末に、2次試験を8月末に行う。2次の合格発表は9月下旬だ。
被害に遭う前に試験は完全に終わっていた。もし荻野さんが1次だけでも合格していたら、メディアはそう言ったはずだ。合否に全く触れないのは落ちたからだろう。
毎日新聞が10月24日付で載せた「松戸火災:捜査本部を設置 遺体に刺し傷、殺害後放火か」という記事には、母校の校長の話しとして「まじめで元気な子という印象。将来は教員採用試験に合格してほしいと思っていた」とあるから、残念ながら去年は受からなかった訳だ。
教員を目指している学生も他の学生のように求職活動をして、一般企業から内定をもらうことがある。だがメディアは荻野さんについてそんなことも一切言わなかった。求職活動はしていなかったのだろう。(なぜ「就職活動」と書かなかったのかについては、次のエントリーで扱う予定。)
試験の合否や求職活動には触れずに「教員を目指していた」と繰り返し述べたのは、「夢を絶たれてしまった」と日本人に思わせて、同情を誘いたかったからだと思う。「教師になりたかったが、試験に落ちた」では、あまりかわいそうと思わない。
先生を目指していたことは荻野さんについて大事なことだから、言う必要がある。被害者の失敗に言及したくないのなら、不合格に触れなくてもいい。
だがそうなら「荻野さんは夢を絶たれた」と何度も繰り返してはいけない。一部を強調して、全体像を歪めるからだ。こんなニュースを何度も聞かされたので、日本人は荻野さんに対して同情しすぎることになったはずだ。
かわいそうで、精神が参ってしまった人もいるかも知れない。しつこく同情させて、必要以上に悲しませるのは悪質ではないか。
テレビ朝日の『情報ステーション』ほどではないが、他のテレビ局も同情を誘おうと作為を施していた訳だ。
・資料
兵庫県教育委員会事務局教職員課 : http://www.hyogo-c.ed.jp/~kyoshokuin-bo/youkou22.htm
コメント 0