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まだ「への」と書く人たち [*国語]

【2010年01月13日に掲載、14日に訂正】-昨日の続きを書きたいが、今日は時間もないので言葉遣いを取り上げる。また「への」を何度も見たので、論評する。 

 ピース・ボートという組織がある。古い船を借り切って世界各地を巡り、平和を訴えているようだ。左翼の組織だ。その乗組員を募集するポスターが街のあちこちに貼ってある。最近のポスターにはノンフィクション・ライターの鎌田慧氏の推薦が載っていて、その見出しとして「若者への期待」と書いてあった。こんな馬鹿者ばかりだから日本は駄目なのに、全く分かっていない。「若者に期待」でいいのだ。

 以前はハガキの下に「こちらのハガキをお送りください」と書いていたので、間違いだと何度も指摘したら、やめた。だが、今度は「への」と書いた。一つ直すと別のを間違えるのだから、骨が折れる。

 山の手線に乗ったら、英会話学校の GABA の広告が貼ってあって、「上達へのサービス」と書いてあった。驚き呆れた。「生徒が上達するよう助けるサービス」のつもりだろう。「助ける」まで「への」で縮めるのは無理だし、勝手放題だ。ガバという校名もおかしい。

 5年くらい前テレビ東京が放送していた『えぐら開運堂』という番組には、「幸せへのメッセージ」というコーナーがあった。「幸せになるためのメッセージ」のことだ。動詞まで略すと一々意味を考えなくてはならない。余りに独りよがりだ。元々「への」という語形がおかしいから、おかしな表現がどんどん生まれるのだろう。

・NHK は問題表現を三つもつなげた
 1月12日午後2時 NHKの BS ニュースを見たら、日航の株が値下がりしていると伝え、字幕に「上場廃止への警戒感から売り注文殺到」などと書いた。「感」「から」も駄目だ。本来「上場廃止を警戒して」と言うのだ。こっちの方が2字少ない。

 元々「への」は「~に対して」を短くするために使い始めたはずだから、長くなっては何のために特殊な語形を使うのか分からない。日本人をノイローゼにしようと企んでいるうちに、メディアの連中がノイローゼになってしまったようだ。悪さをしたから当然だ。自業自得だ。

 「透明感」「値ごろ感」のように「感」を付けるのがはやっている。これも奇妙だ。「透明感のある声」は意味もはっきりしない。「透き通った声」と言うべきだ。「値ごろ感が出てきた」ではなく「値ごろになってきた」と言うのだ。

 「信頼感」「不信感」「期待感」「安心感」のように元々感情を表す語に「感」をつけることも多い。「信頼」「不信」「期待」「安心」でいい。「警戒」も感情を表すから、「感」はいらない。感覚がおかしくなっている。

 「警戒感から」でなく「警戒から」と言っても駄目だ。「から」は「不注意から事故を起こす」のように使う。「警戒から」とは言えない。「警戒して」だ。

 左翼メディアの連中は「~との期待から」と言うが、これも奇妙で「~と期待して」と言うのが本来だ。動詞の用法もある名詞の後に、原因を表す「から」を置くのは無理なのではないか。

 なるべく簡潔に表現しようとしているが、このような場合「から」を使うと1字長くなる。マスコミのやることは支離滅裂だ。

 覚醒剤を数回使うと、脳細胞が壊れて一生治らないらしいが、メディアの連中も脳がおかしくなっているのかも知れない。民放には企業がスポンサーとして金を出しているが、視聴率ばかり気にして内容には無頓着だ。

 大企業は自民党にも金を出してきたが、自分たちの利害ばかり追求し、政治の向上は考えなかった。企業は政治もメディアも駄目にするのか。

・関連エントリー
「への」が駄目な訳 :
http://m-atomi.blog.so-net.ne.jp/2009-12-27
http://m-atomi.blog.so-net.ne.jp/2009-12-28

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