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小沢一郎の良し悪しは政策でこそ判断したい [政治家]

【2010年01月15日に掲載、16日に訂正】-小沢一郎は民主党の幹事長を辞めざるを得ないだろう。議員辞職に至るかも知れない。

 小沢が失脚するのはいいことだ。政策には無頓着で、選挙に勝つことばかり考えているからだ。そんな政治家は一人でも減った方がいい。

 だが政策に失敗したからではなく、政治資金の不正処理で辞職しそうなことが気にかかる。今回の強制捜査の容疑は、政治資金収支報告書に土地購入を記入しなかったという形式犯に過ぎない。大きな不正がちょっと顔を出したのだと思うが、大きな不正が問われるかどうか分からない。

 今に始まったことではないが、日本の政治家が政策の失敗を国会やメディアではっきり問われることはあまりない。小泉改革は批判されているが、その責任を取って小泉純一郎は引退した訳ではないと思う。

・政策こそ大事
 政治家は政策によって評価されるべきだ。掲げた政策が正しくて実行できたのなら高い評価を受け、政策が間違っていた場合や実行できなかった時には批判を受けて辞任するのが、本来のあり方だと思う。

 だが日本では不祥事で特に政治資金に関する不祥事で、議員が辞職することばかりだ。多分他の先進国でもそうだから、仕方がない面もあるが、もっと政策で評価するようになるべきだと思う。

 政治家を政策で評価する傾向が弱いから、不正はしないが、政策で勝負しようとする政治家が減ってきたのではないか。

 マス・メディアは政治家が不祥事を起こしたら執拗に攻撃するが、政策の良し悪しや失敗で追及することは少ない。これが大きな要因だ。

 国民の勉強不足も要因だ。勉強しないと、政策の良し悪しを判断することはできない。政治をよくするには国民一人一人が勉強して考えることが必要だ。当たり前のことだが、まだ分かっていない人が多い。

 自分は努力しないでおいて、政治家に「ちゃんとやってくれ」と言っても、ちゃんとやってくれない。国民が主権者なのだから。

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yukikaze

同感です。国民が努力をしなくなり、国民が政治家に依存するようになれば、独裁者の登場まで時間の問題となるでしょう。

ただ、国民の利害が対立する問題を調整するのが政治であり、政策である以上、ある政策に対する賛否は分かれるのは致し方ありません。そのため、評価も分かれるでしょう。

しかし、政策の良否は時間が裁きます。後世、あの時のあの政策がということが出てくるでしょう。そして、政治家の手腕の良否も明らかになるでしょう。

為政者は国民に対して統治者として権力を得て臨んでも、引退後、死後は国民の評価によって裁かれます。

そのことを政治家がどこまで踏まえられるか。後世に「名誉」が残るか、「汚名」が残るかということを考えて政治を行う政治家がどれほど出てくるかでその国の政治の内容の充実度が変わると思います。

はっきり言って、現在の褒章制度は間違いです。生きているうちに、しかも、その政治家の行いの結果が出るよりも先に、褒賞を与えているからです。

褒章は政治家死後、歴史の審判が下ってから、素晴らしい政策、未来に生きる政策を推進したからという理由で与えるべきだと思います。
by yukikaze (2010-01-15 19:01) 

跡見昌治

yukikaze さん、コメントとナイスをありがとうございます。ナイスを二つも下さいました。

 また返事がとても遅れてしまい、申し訳ありません。内容が深いので、返事を書くのに時間がかかりました。半年毎日考えていた訳ではありませんが。この返事はもう見て下さらないかも知れません。

 後世の評価という視点は斬新です。気づきませんでした。ですが、後世の名誉や汚名を考える政治家は今のところいないだろうし、これから現れるでしょうか。

 今政治家を目指す人を大別すると、何か問題を解決したいタイプと権力が欲しいタイプに分かれると思います。現在の名誉のために何かをする政治家はいても、後世の名誉を考える政治家は聞いたこともありません。「そういう政治家が必要だ」とおっしゃりたいのでしょうが、実際には中々難しいと思います。
by 跡見昌治 (2010-08-01 20:02) 

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