日本語のできない英語学者たち(下) [英語学]
【2012年07月10日】-生成文法をやっている人達は、もっと基本的な文でも助詞の使い方がおかしい。「私は~だ」が自然な言い方なのに、「私が~だ」という例文を多用するのだ。
前回引用した斎藤(2006)でも「花子が太郎に自分の本を送った」(12)のような例文がずらっと並んでいる。普通は「花子は」と言う。「花子が」と「が」を使うのは、行為者を強調したい時だ。
「このような論文では『が』と言うものなのか」と思っていたら、(20)では急に「その医者は太郎を自分の家で死なせた」になっていたので、驚いた。(23)でも「太郎は」だ。議論の上で「は」にする必要はない。だが(24)ではまた「花子が」と「が」に戻り、しばらく「が」が続く。
ここまでは使い分けていないが、(39)から(42)では「は」と「が」の使い分けを説明している。信じられない。言葉遣いに鈍感なのだろう。
日本語では語順を入れ替えても基本的な意味(認知的意味)(概念的意味)は変わらないが、この論文はその仕組みを考察している。高度な内容だ。基本がいい加減なのに、高度なことを論じるのは奇妙だ。
タグ:「が」と「は」の使い分け 生成文法
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