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朝日新聞「座標 すみわけの平和を 文化尊重し合い共生」(1992年8月15日付朝刊) [朝日新聞に出した手紙]

和田俊・論説副主幹

 夏のこの時期、パリを訪れる日本人はおそらく大変な数にのぼるだろう。ルーブル美術館、モンマルトルの丘、シャンゼリゼ大通りなど観光の名所には、わが国からの団体客がうねりのように、寄せては返しているに違いあるまい。

 その人たちに、観光の王道を少しはずれてみることを、おすすめしたい。たとえばシテ島のノートルダム寺院を訪ねたなら、ほんのちょっと足を延ばして、パリ警視庁周辺をひとりで散歩してみるのである。注意深い人ならば、建物の壁面のあちこちに「194×年×月×日、愛国者にしてレジスタンスの闘士何某、ファシストの凶弾に倒れ、ここに没す」といった碑文の埋め込まれていることに気付くはずだ。

 かつて、鮮血がここに流れ、1人の人間が息をひきとった。その事実を忘れまいとする、ヨーロッパ的執念がそこから伝わってくる。

○戦争はだれがおこす
 不愉快な過去は水に流して、なるべく早く「忘却の河」を渡ってしまおうとする、われわれとはどこかが違う。文化の差であろうか。街路の石畳に耳をあてて、歴史の足音を聞いてみたい気持ちに襲われる。

 しかし、過去からただよってくるものは、どちらかといえば、荒々しい野蛮な雄たけびである。フランスの戦争学研究所の調べによると、18世紀半ばから今日にいたるまで、この地上に武力紛争のなかった年は1年もみつからない。なかでも、ヨーロッパの歴史には戦争が色濃く影を落としている。

 それだけに、悲惨な現場を記憶しようとする執念も、激しさを増すのだろう。だが、そこには正負ふたつの面がありそうだ。怨念(おんねん)がナショナリズムに結びつくと、報復心が燃え、暴力の悪循環を招く。いまバルカン半島にみるように、戦火が戦火をよび起こすのだ。

 だが、歴史は他方で偉大な教師であり続ける。過去に目を向け、その再検討を怠らずにいれば、国家間の戦争の背後にひそむ、権力のからくりも透けて見えてくるのだ。

 戦争とはだれがおこし、被害を受けるのはもっぱらだれか。デンマークの軍人が「戦争絶滅請け合い法案」なるものを、冗談に作成したことがある。その内容はすこぶる皮肉なものだ。「各国政府は開戦後10時間以内に、最前線に送って実戦に従事させるものを、次の順序にすると取り決める。まず第1に国家元首、次に元首の男子親族、次に総理大臣、国務大臣、国会議員、ただし戦争に反対投票した議員は除く」。この条約を各国が守りさえすれば、戦争は絶滅請け合いというわけだ。

○相対主義が生む変化
 国家を構成する支配の関係を、覚めた視線で相対化する姿勢は、平和の確保に役立つに違いない。

 第1次大戦に兵士として参加したフランスの哲学者アランは「平和の精神とはまず第1に知性である。たとえ殴り合いの最中でも、げん骨をふりまわすと同時に、理屈を投げ捨ててはいけない」と強調する(『マルスあるいは裁かれた戦争』)。

 知性への信仰も、もう1つのヨーロッパ的執念であろうか。なぜげん骨をふり続けるのかと問うて、アランは「平和には他者の自由を願う慈愛の精神も必要だ」という認識に到達する。排外的なナショナリズムをどう克服するか。その鍵(かぎ)の1つが、ここにひそむ。

 独仏両国は過去150年、果てしなく戦争を繰り返してきた。その宿敵がいまでは欧州共同体の2本柱として肩を組み、もう二度と武力で戦うことはなさそうである。そこにどのような変化が起こったのか。

 それを探っていくと、権力と文化に対する二重の相対主義が浮かび上がってくる。権力であれ、文化であれ、他者を犠牲にして覇を唱えるほど優越的なものは存在しない。ゲルマン文化もフランス文化も、価値に優劣はなく、ともに共存すべしという考え方が、次第に人々に受け入れられてきたのだ。その視点に立つと、ヒトラーの狂信は意味を失う。

○経済力におごる危険
 人間はだれしも、自分の生活様式に愛着をもつ。だから、フランスには独特のチーズがあり、わが国にはみそ汁がある。とはいえ、普通はいやがる外国人に無理やりみそ汁を飲ましたりはしない。人間の生活はもともと非攻撃的なものなのである。近代の過ちは、文化を国家の支配下に置いたことであろう。

 その反省から、文化の多元的な共生の思想が生まれる。強者が弱者をとうたするダーウィン的な進化論よりも、異質なものの平和的すみわけの理論が求められるのだ。

 最近のわが国の風潮には、一抹の不安がある。経済の国家的成功を文化的優位と取り違えてはいないか。歴史はその危険を教えている。


タグ:朝日新聞
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