SSブログ

朝日新聞に出した手紙(3) [朝日新聞に出した手紙]

【1993年08月12日か】-新聞というものは、多くの分野を扱う。だから不正確になっても仕方がないが、それにしても朝日新聞の記事は、間違いが多すぎないか。

・パソコンの安売り
 92年の10月頃からコンパックというアメリカのパソコンメーカーが、日本でも安く販売するようになり、他社も追随して、かなり報道された。だが、本当にコンパックの製品はそんなに安いのだろうか。NECも安売り競争に参入したといえるのだろうか。

 一連の報道は、定価のみを追っかけていて、実勢価格を全く考慮に入れていない。パソコンを定価で買っている人は、日本中探しても殆どいないだろう。例えばEPSONが6月に発売したPC-486ノートAS2は定価24、8000円だが、発売直後、池袋のビックカメラでは19、8400円で売っていた。5万円も引いている。一年経つと、15万円くらいになるだろう。

 実買価格を無視して、定価だけで、「このメーカーが安売りを始めました。今度はこのメーカーが安売り競争に参加しました。」と報じることは滑稽である。パソコンの分かる人はこういう報道を冷ややかにみている。メーカーは内心バカにしながらも、ただで宣伝してもらえて喜んでいる。

・ソフトウェア
  4月19日の朝刊の「新けいざい紀行」は、ジャストシステムを取り上げ、かなり面白かった。だが、本屋に並んでいる一太郎などの解説書は、どれもソフトの違法コピーのために売られているように書いてあったが、そんなことはない。ジャストシステム自体が一太郎の解説書を出している。

 ああいう本は、ソフトウェアについているマニュアルはわかりにくいので、それを補うために出ていることになっている。私自身はパソコンを買う前に、MS-DOSとはどういうものかを知るために、特別易しい本を一冊買って読んでみた。違法コピーをした人が買うこともあるだろうが、それだけではない。

 アスキーも自社で出しているTHE CARDというソフトの解説書を出している。ほんのちょっとした勘違いだけれども、分かっている人の信用を失う。一つでもおかしなことを見つけたら、朝日新聞の他の記事も信用できなくなり、結局新聞は取っているが、殆ど読まないということになる。

 5月の後半、パソコンのOSの一つであるWindows3.1が発売された。朝日新聞もこれを契機にパソコンの売上が伸びるかのように報じていたが、そうなるだろうか。

 確かに、発売直後はかなり売れたようだが、Windowsは2万円程するし、大容量のハードディスクを買わなくてはいけないし、インストールが大変なようである。また応用ソフトを新たに買わなくてはいけない。

 その日のキーワード欄はOSがテーマだったが、間違っていたと思う。そこにはOSはどのメーカーのパソコンにも使えるように書いてあったが、そうではない。NECの98シリーズには98用のMS-DOSが必要で、98用の応用ソフトが必要。98用のMS-DOSの上に、98用のMS-Windowsをのせると、Windows用の応用ソフトがメーカーに関わりなく使える。

 だからマイクロソフト社はソフトが共通に使えると宣伝しているのだ。だが応用ソフトは、新たに買わなければならないし、Windows用の応用ソフトはまだ少ないようだ。こんなに不正確だとパソコンの分かる人に信頼されなくなる。

 不明なことは『朝日パソコン』編集部に問い合わせればいいじゃないか。本紙を怒らせて戻れなくなったら大変だと、向こうからは何も言えないだろうから。縦割り行政ならぬ「縦割り編集」である。

 タダでマイクロソフトの宣伝をするのは、資源エネルギー庁から広告料を貰って記事のように見せかけて書くより問題かも知れない。(でもWindowsが日本で初めて発売されたかのように報じていたNHKよりはましだ。)

・家庭面の連載
 5月から6月の初めにかけて、家庭欄に「なんとなくシングル」という連載が載った。なんとなくシングルという人はほとんど登場しなかったから、タイトルからして良くない。

 また極端な例ばかり載っていた。本音を言っている人は一人もいなかったように思う。初めて会った新聞記者なんかに本心を言うわけがないが。

 日曜日は毎週美術館めぐりという人がいて「忙しくて寂しいと思う暇もない。」とか言っていたが、美術館にはアベックもいるだろうから、寂しいと思わないわけはない。

 誰もがいろいろな事情で結婚していないわけで、そういう本音が全く出ていなかった。大好きな人にふられて他の誰とも結婚しないと心に決めた人、ひどい男に騙されてもう男はこりごりという人、体の具合の悪い人。人によっていろいろな理由があるに違いない。そういうのが出ていなかった。建て前と強がりばかりだった。口では「平気よ。」「独身主義者なの。」と言いながら心の中では寂しいと思っている人は多いだろう。

 日本のマスコミは建て前が多すぎる。本音が出ていない。マイクロソフトがWindowsを発売するとなれば、いいいいと褒めちぎる。

 そもそもこの連載では全員仮名というのがおかしい。TIMEでは性暴力に遭った女性が実名で顔写真と共に登場する。そこまでやる必要はないが、連載を通して匿名というのはどうか。メディア欄のスウェーデンからの連載が示していたように、匿名では内容が無責任になる。

 実は私はこの連載は捏造だと思っている。全てそうでなくとも一部は捏造。またはインタヴューしたものの中から自分達のイメージに合うものを選んで、更に脚色したとか。

 不倫を肯定しているような人もいたが信じられない。私の知人で不倫をしていた人がいるが、後々まで苦しんだようだ。そんなことをすると本人も大変だし、周りも困る。

 現にニュースステーションの小宮悦子さんは不倫のため離婚したし、久米宏さんは、10年程前のことだが、不倫騒動のために番組を1週間ほどすっぽかした。不倫という民事訴訟を起こせるようなことを新聞が勧めるような連載をするのは異常じゃないか。結婚していない女性記者が自らを慰めるために企画したような気がする。

・本音と建て前
 他にも首をかしげたくなるようなことが多い。

 NHKの元会長の島桂次という人は、国会で偽証したりして、朝日本紙では批判されていたが、週刊朝日ではなぜか連載を持っている。こういうのはどうかしていないだろうか。新聞本紙では建て前を言っていて、本音は売れればいいということではないか。

 新聞社には新聞社の役割というのがあるから、たとえ本心ではそう思っていなくとも、正論を展開しなくてはいけないこともある。だが、余りに本音と主張が乖離していると、読者の信用を失う。

 例えば、最近は少なくなったが、朝日新聞には車の広告が多すぎた。朝刊の広告の半分が自動車で、残りの半分近くが不動産だったりする。これでは、いくら環境保護や大気汚染防止を訴えても、説得力はない。バブル経済の責任を政府や日銀に問うているが、朝日も不動産の広告を多量に載せて、バブルを煽っていたのではないか。

 92年の12月だったか、竹下登元首相は国会で証人喚問に応じた。この時竹下氏は「体制側の人間は、どんな批判にも耐えなければならない。」と話し、私はぎくっとした。どんなに批判されても、辞職はしないということだからだ。

 ところが93年の2月、再び国会で証人喚問に応じた竹下氏は、「以前は体制側の者はどんな批判にも耐えなくてはいけないと思っていたが、こういう考え方は古いと思う。何らかの措置を講じなくてはいけない。」と語った。辞職を示唆したのである。ところが「竹下辞職を示唆」と報じた報道機関はなかった。ニュースステーションは竹下氏のこの証言を放送で流したにも拘らず、竹下氏の本音は見抜けなかったようだ。そして、竹下氏は7月の衆議院選挙に立候補し、当選した。

 証人喚問や贈収賄事件などを執拗に追及しているけれども、こんなことも見抜けないで、一体何を考えて取材しているのだろうか。「辞職示唆」と報じておけば、竹下が立候補することはなかったろう。

・業者テスト
 92年の11月頃、埼玉県の教育長の発言がきっかけになって、業者テストに対する批判が巻き起こった。結局、全国的に業者テストは廃止されることになったが、これに関する論調は、朝日新聞も他の新聞・テレビもひどいものであった。

 業者テストや偏差値が攻撃されたが、業者テストを使わなければ、「青田買い」をしてもいいのだろうか。偏差値を使わなければ、12月に私立校が合否を決めてもいいのだろうか。

 この件で一番問題なのは、私立高校が「青田買い」をしていたことである。たとえ業者テストを使わずに、高校が独自に試験をしたとしても、「青田買い」はいけない。ところが、このことを忘れて業者テストばかりを批判していたから、結局業者テストは廃止され、中学は受験指導がしにくくなり、塾がその代わりをすることになった。7月23日の声欄にもそういう意見がでている。

 偏差値に対する批判がマスコミをおおった。偏差値が元凶だというのだ。朝日の紙面にも「脱偏差値」という見出しを何度も見た。こういう見出しを見る度に、私は「この人達は本当に思考力がないんだなぁ。偏差値なんかがそんなに悪いだろうか。何でも偏差値のせいにして、逆に本当の原因を見られなくなっているんじゃないか。」と思う。

 朝日新聞の記者の4割が東大卒だという。(ウィークエンド経済で見た。他の人も一流大学を出ているだろう。)東大を出たということは、偏差値競争に勝ち抜いてきたということだ。朝日に入社する時もペーパーテストでいい点を取っただろう。朝日新聞はマスコミの中でも一番難しいんじゃないか。

 そういう人たちが、「偏差値はやめろ」などと言っても全く説得力がない。東大の文Ⅰにするか文Ⅱにするか決める時に偏差値を使わなかっただろうか。偏差値を使わずに、どうやって受験学部を決めたのだろうか。

 確かに偏差値に振り回されてはいけない。だが、偏差値がなくなったとしても学歴は残る。学歴で人を判断することは続くだろう。それなのに何故偏差値にそんなにこだわるのだろうか。

 そもそも、偏差値でも、学歴でも、勤務先でも頂点に立っている朝日の記者や他のマスコミ関係者が、「偏差値やめろ」とか「学歴社会を是正しろ」などと言うのを聞けば、低学歴で低収入の人たちはどう思うだろうか。「何、ばかなことを言っているんだ」と思うのではないだろうか。私も、一流大学と言われる所を卒業したけれども、こういう報道に接すると、本当にうんざりする。

 よく「偏差値輪切り教育」などと言うが、偏差値に輪切りにされているのは、日本の教育でも中学生・高校生でもなく、朝日新聞の記者の頭である。他の新聞社・テレビ局の記者の頭である。頭が偏差値に侵されている。普通の人は偏差値なんかそんなに気にしてない。

・低レベル
 日本のマスコミ関係者は一生懸命やっているのだが、客観的な報道ができない。全くないことを捏造することはあまりないが、虚心に報ずることができない。自分達の安っぽい認識を読者に押しつける。どこの社も同じようなレベルの低い報道を、洪水のように流すから、殆どの人がそれに押し流されてしまう。

 92年2月頃、法政の英文学者が急に留学から帰国し、自殺したという記事を朝日で読んだ。どうもしっくりこない、狐につままれたような気分になった。たまたま週刊新潮を見たら、この英文学者はアイルランドで同性愛者の血液に触ってしまい、エイズに罹ったと思い込み、自殺したと書いてあった。

 朝日はその人の名誉のためにエイズには触れなかったのかも知れないが、それでは読者はどうなる。本当のことは分からないじゃないか。関係者の人権を尊重するなら、匿名で大学名も伏せて報じればいい。そうすれば、エイズに罹ったと思い込んで自殺してはいけないという教訓を得ることができる。

  今年に入ってから、日本コダックなどが就職内定を取り消し、かなり報道された。朝日新聞は、いろいろな会社が内定を取り消したとは伝えていたが、その取り消された人たちが、その後どうしたかは、私の知る限り、報じていなかった。ただ取り消しが相次いでいると伝えるのみであった。

 この学生達はどうしているのだろうと、私が不思議に思っていた頃、たまたまFOCUSを見たら、「内定を取り消された学生は、その後ほかの企業に就職が決まった。多くの学生が前の会社よりいいところに内定した。『そんな優秀な学生なら是非うちに』と言う会社に入れた。」と読んだ。

 朝日新聞を一生懸命読んでも、世の中がどうなっているか知ることができない。

・船橋の冷戦病
 7月10日船橋洋一編集委員はサミットを総括する記事を書いているが、この人はいまだに「冷戦病」が直っていない。こんな短い記事に4回も冷戦が出てくる。まるで冷戦を境にして世界情勢が、根底から変わったような印象を受ける。

 そんなことはない。冷戦の最中にも地域紛争も、保護貿易主義もあった。「偏狭な民族主義・宗教的情熱、閉鎖的保護主義、排他的地域主義」は冷戦時代にもあった。また「保護主義と管理貿易と地域主義が、自由で、差別のない、多角的な貿易ルールを歪めつつある。」と書いているが、そんな公正な貿易は歴史上存在したことがあるのだろうか。以前から存在しないものを歪めつつあると言うことこそ、事実を、現実を歪めている。

 クリントン米大統領について、船橋氏は「冷戦後の新たな国造りという『変化』を掲げて登場した同大統領」と書いているが、クリントンは経済再建を担って当選したのだ。船橋氏のように、冷戦で頭がいっぱいのアメリカ人はいないだろう。

 ちなみに、7月19日号のTIMEは東京サミットに3ページ充てているが,cold warという表現は一度も出てこない。朝日新聞などは、今回のサミットは殆ど成果がなかったように報じていたが、TIMEは、ロシアに対する援助とウルグアイラウンドに関して進展があったと肯定的に報じている。日本で起きたことでも、日本のマスコミはけちをつけるばかりだから、日本人は出来事をどう評価していいのか分からない。

・その他
 結局、日本人はマスコミが駄目だから本当のことを知ることができない。表面的なことは分かるが、本当のこと、正しい評価を知ることができない。外国のことなら英語の雑誌や新聞を読めば分かるが、日本のことはそうはいかない。

 教育に関してなら、若い読者は自分の経験に照らし合わせて、マスコミ報道が一部分を誇張しているのかどうか分かるし、年輩者も周囲の子供に訊いて実態を掴める。

 だが、経済や政治のことになると自分で直接見聞することは極めて少ない。どうしてもマスコミで報道されていることに、認識は大きく影響される。そしてその報道が、表面的で、同じようなことばかりだ。

 政治家の疑惑が発覚すると、証人喚問を要求する。そして、大して成果のない証人喚問だったと言う。そうなることは、初めから分かっているのだから、社会党などが自民党に証人喚問を要求しても、マスコミまで要求する必要はない。

 そもそも社会党などが喚問を要求するのは、この機会にできるだけ自民党のイメージをダウンさせておいて、次の選挙を有利に戦おうという作戦なのだ。その作戦にマスコミが協力するのはおかしい。

 一方、社会党など旧野党に対しては、自民党の批判を取り入れて、「抵抗ばかりしている」などと言っていた。そうやって、日本の政治を実際以上に悪く言って、政治不信を助長してきた。

 新聞をざっと読み、テレビのニュースを一通り見ただけでは、日本がどんな国なのか殆ど分からない。朝日新聞は、政府の情報公開に関して国民の知る権利を唱えることがあるが、朝日こそ国民の知る権利を侵害している。

 海外のメーカーが日本で安いパソコンを発売し始めると大きく取り上げるが、アメリカではそういう安売り合戦のために、小さなパソコンメーカーが潰れていることは全く報じない。内定取り消しなどニュースになりやすいことは、大きく取り上げるが、取り消された人たちがその後どうなったかは報じない。

 正確な報道をする気があるのだろうか。受けばかり考えているのではないだろうか。部数のことばかり考えているのではないだろうか。

 自分達の責務が分かっているのだろうか。毎日ただあたふたと、新聞をつくっているのではないだろうか。何千万人もの人が朝日新聞を読んでいるという意識があるのだろうか。こういう現状に私は絶望せざるを得ない。

p.s. 8月7日夕刊のウィークエンド経済の風刺漫画の英語が間違っていた。forcusではなくfocusだ。前からここの英語はおかしいと思っていたが、とうとうやったかという感じ。なぜ英語をここに書くのか。日本人が英語ができないのは、こういうふうに不必要な所に英語を使うことと関係あるような気がする。
                                                                                                                 跡見昌治

ブログランキング・にほんブログ村へ


タグ:朝日新聞
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。