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朝日新聞に出した手紙(7)=ドイツ語の読み方 [朝日新聞に出した手紙]

 【1994年05月09日】-94年4月7日付夕刊文化面の「単眼複眼」は、「ロマンスの神様」のヒットを取り上げている。見出しに「大ヒットはCMソングゆえ」とあるように、音楽と企業のタイ・アップを不当に強調している。

 確かにこの曲はアルペンのCMソングとして、テレビから多量に流れたが、曲を中途半端なところで切っていたので、どういう曲だかあれでは殆ど分からない。こんなCM,いくら流してもヒットを生まないだろう。

 この文章からすると、CMソングに使われてテレビから多量に流れると、どんな曲でもヒットすることになる。実際にはそうではない。

 広瀬のファースト・シングル「愛があれば大丈夫」は、映画「病は気から 2」のテーマ・ソングになっただけでなく、ビジネス専門学校のCMソングにもなった。が、あまり売れなかった。

 西田ひかりは最近三菱電機のCMに続けて出演し、CMソングも歌っているが、大ヒットは出ていない。

 「歌詞の内容は単純な女の子の出会い願望にすぎない」とあるが、今の歌は大抵こんな内容である。カルピスのCMソングに使われている山下久美子の歌は、「好きよ、好きよ」と繰り返しているだけだ。

 シングルとほぼ同時に発売されたアルバム“SUCCESS STORY”は、「ロマンスの神様」を収録しているが、売上げは2位を記録した。タイ・アップだけで、アルバムまで売れるだろうか。

 この曲がヒットしたのは、歌がいいからだ。特に歌詞がいい。先ず、ロマンスの神様というアイデアがいい。「ロマンスの神様 この人でしょうか/どうもありがとう」という歌詞は斬新だ。他力本願でしょうがないが、占い好きの若い女の共感を得たのだろう。

  「性格よければいい、そんなの嘘だと思いませんか」という歌詞は、呼びかけていて面白い。

 また、広瀬の歌唱力もヒットと関係あるだろう。これだけ歌のうまいシンガーは、日本には他にいない。

 広瀬のことを「実力派」と評しているが、「ヒットの秘密」を主にCMソングに採用されたからとしている。この記事を読んだ音楽関係者は、「やはりCMの効果は大きい」と勘違いするだろう。正しい批判をして悪い傾向が強化されるのは仕方がないが、不当な批判をして状況が悪化したのでは、一体何のためにこの記事を書いたか分からない。

 今の女性シンガーには、ショート・カットが多い。ヒットの理由にならない。

 広瀬は明るくない。5歳の時から強制的にピアノと作曲を習わされた。毎日のように教室に通わなくてはいけなくて、友達と遊べなかった。今だにその頃のつらい思い出を引きずっているようだ。

 ロス・アンゼルスに留学していた時、歌は下手だし曲の売り込みはうまくいかないしで、毎日泣いていたという。

 だから広瀬はクラシックは嫌いだし、ポップスもあまり好きではない。音楽が嫌いな音楽家。不幸である。

 テレビの歌番組は少なくなったが、なくなってはいない。テレビ朝日は、金曜日の午後8時から「ミュージックステーション」を放送している。他にも歌番組は少数ながらある。「ない」と「少ない」の区別ができない新聞記者は、歌の下手なアイドル歌手のようだ。

 確かに多くの歌がCMやテレビ・ドラマの主題歌に使われていることは、嘆かわしい。だが、そんなことはどうでもいい。

 15年ほど前、作曲家の宮川泰氏は朝日新聞の「サウンド解剖学」という連載で、「歌手は発声をよくしないと、歌謡曲は衰退するぞ」と警告を発していた。歌謡界はこの警告を無視したため、演歌とニュー・ミュージックを除く狭義の歌謡曲は消滅しかかっている。

 近年ニューミュージックの連中も、発声がよくなるどころか、悪くなった。T-BOLANやWANDSなどは、声の出し方が気持ち悪くて聞いていられない。

 最近ガール・ポップという言葉をよく聞く。女性シンガーの歌をこう呼ぶ。このままでは、狭義の歌謡曲だけでなく男性ヴォーカルもひどく衰退するだろう。

 コラムニストとも称する山崎浩一氏は、音楽そのものにはそれほど詳しくないのだろう。こんな人の意見に「隷属」している方が、よっぽど「堕落」である。

・「ビット」と「バイト」
 以前から気づいていたのだが、経済面のコンピューターのメモリーに関する記事で「メガビット」と書いているが、メガバイトが正しい。ビットとバイトは全く違う。

 ビットは普通、パソコンなどが1度に処理できる数字の桁数を言い、16ビットや32ビットという。バイトは主に記憶容量の単位で、8ビットを1バイトとしている。

 だからビットとバイトを混同することは、センチメートルとミリメートルを区別しないようなものだ。

 半導体メーカーは、発表文ではっきりとメガバイトと書いているだろうが、ビットとバイトは同じであると思い込んでいる人たちが、「メガビット」と書き替えて紙面に載せる。メーカーは抗議したいのはやまやまだが、復讐されたくないので何も言わない。そして、何年も前から何百万部もの間違いが印刷されている。

 日本経済新聞はあんなにパソコンに関する記事を載せているのに、「メガビット」である。The Japan Timesは、megabyteとしなければいけないのに、megabitと書いている。こんな単語は世界中のどんな英語辞書にも載っていないだろう。

 日本は馬鹿の住まう国だ。パソコンを使って新聞を作っている癖に、こんなことも知らないなんて信じられない。知的好奇心が全然ないのだろう。日本人に創造性が足りないとしたら、知的好奇心がないのが原因だろう。

 朝日の社内にこの間違いに気づいている人がいないのかというと、いる。当然「朝日パソコン」の編集部員は皆知っているだろう。

 夕刊の科学面では、「バイト」を何度か見た。93年10月6日付夕刊1面にメモリーカードの記事が出たが、ここでは正しくバイトとなっていた。(秋葉原ではRAMカードは不足していたかも知れないが、池袋にはたくさんあった。)

 それなのに、経済面では体系的にビットである。何とも言いようがない。この間違いに気づいている人は、日本中に何十万人もいるのに、誰も声を挙げない。みんな見放しているのだろう。

 94年4月、右翼が朝日に籠城したとき、「自由で公正な報道をしている」と言ったそうだが、こんなことも間違えていて何が公正な報道なのか。暴力を振るう者に非を認める訳にもいかないが、新聞をよく読んでいる人には通用しない言い訳だ。

・-ism の訳し方
 朝日新聞を読んでいると、時々「人種差別主義」という妙な語を見かける。これは英語のracismの訳のようだ。93年12月28日付夕刊の「米先住民襲う『環境人種差別』 核廃棄物に汚される大地・誇り」という記事では、見出しには人種差別とあるが、本文には「環境レイシズム(人種差別主義)」とある。

 raceは人種で-ismは主義だから、racismが「人種差別主義」というのでは、英語ができないだけでなく、日本語もできない。こんな日本語は聞いたことがない。

 racismは単に「人種差別」と訳すべきである。-ismには「主義」という意味もあるが、広く抽象名詞を作るのに使う。

 そもそも-ismが主義という意味だけなら、journalismは一体何主義なのか。mechanismは何主義なのか。いつだったかテレビ朝日を観ていたら、racismを「人種差別」と訳していた。入社試験は新聞の方が難しいらしいのに、こんなことがあるんだろうか。

 朝日新聞の文章は他の日刊紙に較べて、無駄がなくしっかりした言葉遣いで書いてある。だから余計にこういう間違いは目立ってしまう。

・ドイツ語を正しく読むべし
 私は93年10月に出した手紙で、ドイツ語のwをヴと書くよう主張した。確か10月中にも朝日にもヴという表記が現れるようになったが、私が一番強く要望していたことは実現されていない。ヴァイツゼカーにはなっていない。

 広告や社外筆者の文章にはドイツ語のwはヴとなっているのに、相変わらず「ワイツゼッカー」である。

 今更「名前を変える」訳にもいかないことは解る。この大統領は、そろそろ任期が切れるということなので、「ワイツゼッカー」でもいいだろう。

 10月の終わり朝日でヴを見つけたとき、私は驚き喜んだ。だが、「ワイツゼッカー」を見た時、驚き呆れた。考え方が官僚的だなと思った。

 ヴァイツゼカーでなくとも、バイツゼッカーでもよかったのである。日本語にヴという音はないので、バでもよかったのだ。肝心なことは、ドイツ語をどんなに日本語風に発音しても、「ワイツゼッカー」とはならないということだ。

 外国語の発音を正しく日本語で書ける訳はない。だが、なるべく原語に近づけるべきだ。

 ドイツ人がWeizsäckerを発音するのを聞いたら、普通の日本人には、「バイツゼッカー」と聞こえるはずだ。「ワイツゼッカー」とは聞こえない。だから「ワイツゼッカー」は間違いである。

 朝日新聞では、ドイツの地名Nordrhein-Westfalenも「ノルトライン=ウェストファーレン」となっているが、間違っている。ノルトライン=ヴェストファーレンが正しい。

 岩波文庫にはMax Weberの訳が何冊も収められているが、マックス・ウェーバーとなっているものもあるし、マックス・ヴェーバーとなっているものもある。

 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の1955年(上巻)と1962年(下巻)の訳では、ウェーバーとしているが、1989年の改訳ではヴェーバーとなっている。ヴェーバーが正しいということが判ったから、変えたのだろう。

 何が正しいか判った時点で正しく変えるのが、あるべき姿だ。

 だからといって、ドイツ語のwをすべてヴとすべきだと言うのではない。Wien を、今からヴィーンとする訳にもいかない。ウィーンが定着しているからだ。

 だが、「ノルトライン=ウェストファーレン」はまだ定着していない。だから変えられる。今変えなければ、いつまでも変えられないだろう。朝日新聞は、これから何十年も何百年も、間違いを続けていくのだろうか。

 94年4月26日27日の夕刊1面の「きょう」には、Wittgensteinが出てくる。「ウィトゲンシュタイン」は間違っている。「ヴィトゲンシュタイン」が正しい。

 5月2日朝刊国際面のベルリンの壁に関する記事に、Die Weltというドイツの新聞が出てくる。「ウェルト」でなく、ヴェルトが正しい。またドイツの大蔵大臣Waigelは「ワイゲル」でなくて、ヴァイゲルである。

 政治家や役人に「間違いを正せ」と幾ら言っても、これでは説得力がない。彼らは、「ドイツ語の読み方も知らない者が、何を言ってるんだ」と思っているだろう。本当は間違っていると知っているのに、今までのやり方を変えないためだけに正さないのだから、本当にひどい。

 4月7日付朝刊メディア面には、NHKが韓国・北朝鮮の地名を現地読みにするという記事が出ている。4月17日から朝日新聞は、ボスニア・ヘルツェゴビナの地名「ゴラズデ」を「ゴラジュデ」に変更した。ドイツ語の読み方も変えらえない新聞が、政治改革や行政改革を主張しても虚しい。

 是非、ノルトライン=ヴェストファーレン、ヴィトゲンシュタイン、(ディー)ヴェルト、ヴァイゲルに変更してほしい。

1994年5月9日                  跡見 昌治

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タグ:朝日新聞
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