SSブログ

日本の英語教育 [英語教育]

【1995年02月12日】-日本人は英語ができないと言われている。正確に言うと、英語のできる人が余りに少ないと言われている。なぜだろうか。

 いろいろな理由が挙げられている。受験勉強のせいだとか、教師が英語ができないからだとか。だが、どれも説得力がない。

 本当の理由は、単純明快だ。勉強が足りないのである。そして勉強の仕方が悪いのである。

 日本人は英語を馬鹿にしているところがある。「アメリカに行けば子供でも英語を話している」などと言う人が多い。確かにそうだけれども、どこの国でも子供はその国(その地域)の言葉を自然に話せるようになる。アメリカに限ったことではない。

 英語を馬鹿にするのは、英語は他の外国語に比べて比較的簡単だと思われているためでもある。実際、ドイツ語やフランス語に比べた場合、英語は易しい。ラテン語やロシア語と比べたら、英語の方がずっと易しい。だが、それでも英語という言語をものにすることは、とても大変なことだ。

 英語ができるようになるには努力しなければならないのに、「英語なんか簡単だ」と思っているから、真剣に勉強しない。だから英語ができるようにならない。

 英語ができるようになるには、まず単語をしっかり覚えなくてはいけない。次に、文法を理解しなくてはいけない。このふたつを身につけていれば、外国語はある程度使えるのである。ところがこういう当然の努力をしない人が余りに多い。

 そして、英語ができないことを教師や制度のせいにしてしまう。「教師が英会話ができないから、生徒は簡単な会話もできない」とよく言われるけれども、的外れである。どんなに教師が優秀であっても、熱心に教えなくては、生徒の英語力は向上しない。私自身中学生の時、英会話ができると自慢していた教師二人に英語を習ったけれども、二人とも熱心ではなかったので、学力の向上には結びつかなかった。

 また、英語をうまく教えることがとても大事だ。日本には熱心な教師はいるけれども、英語をうまく教えられる教師はとても少ないようだ。教師がうまく教えなくては、生徒は英語ができるようにならない。

 うまく教えるということは、第一に分かりやすく説明することである。英語に限らず、日本の語学教師は日本語が下手で、何を言っているのか分からないこともある。 

 第二に、文法をしっかり教えなくてはいけない。日本の英語教育は文法偏重と言われているが、実際には文法偏重なのではなくて文法軽視なのだ。中学でも高校でも、塾でも予備校でも、文法を体系的に教えていない。文法をしっかり教えないで文法用語を多用するから、生徒は文法ばかりやっていると感じ、英語ができるようにならない。

 文法の基礎は、品詞の分類である。この品詞の教え方が、特に下手だ。

 まず、伝統文法にならって、八品詞とするなら、何十万とある英単語はすべて八つの品詞のどれかに属すると教えなくてはいけない。それから、各品詞の特徴をしっかり教える。こうしないと、決して英文法は分かるようにならない。形容詞や副詞がどういう語なのか分からない生徒に、比較級や最上級を教えても何にもならない。

 また、同じ語が、いくつかの品詞で使われることも多い。こういう語に関しては、常に何詞として使われているか注意しなくてはいけない。

 私が英語を教えた経験から言うと、生徒は難しい文法事項が出てきたりすると、「変だ」といって受けつけないことがある。外国語は何語でも、母語に比べたら不自然極まりない。素直に覚えなくては、外国語はできるようにならない。

 本当の理由を知らないまま、いくら議論しても何にもならない。日本人はなぜ外国語が苦手なのか、本質的な議論が必要である。

・朝日新聞
 1994年8月31日の社説と9月3日の天声人語は、英語教育を取り上げているが、同じく一番大事な点を忘れている。

 それは、学習者の努力だ。どんなに教師が優秀でも、どんなに教材がよくできていても、生徒一人一人が一生懸命勉強しなければ、決して英語はできるようにならない。この一番大事なことが、日本の議論ではなぜかすっぽり抜け落ちている。

 そもそも外国語は何語であっても、とても難しいものだ。先ず発音が違う。文字が違うこともある。文法が違う。それなのに、日本人は外国語はそんなに難しくないと思っているようだ。「アメリカに行けば子供だって英語を話している」などと英語を馬鹿にする人もいる。主要な現代語の中で一番難しいと言われているロシア語だって、ロシアに生まれ育てば誰もが一応話せるようになるのに。

 日本語と英語は文字も違うし、文法構造が全く違うから、日本人は英語ができないのではないかと言う人がいるが、同じ漢字を使っている中国語もかなり難しい。中国では、簡体字という日本と違う省略体を使っているので、見慣れない字が多い。発音も難しい。音素(最低限区別すべき母音と子音)の数も多いし、漢字の読み方がすごく覚えにくい。漢字を全く知らない欧米人に比べたら、中国語は日本人に簡単だろうが、真剣に取り組まなければ何年やってもちゃんとできるようにはならないだろう。

 生徒がしっかり勉強していないだけでなく、教師もちゃんと教えていない。

 先ず、教師は「日本語が下手」(天声人語)である。旺文社の大学受験講座を聞いていると、国語と数学の教師は理路整然と話しているのに、英語の教師は話しが余りうまくない。最近はかなりよくなったが、以前はひどくて、とても分かりにくかった。

 また、言葉遣いが不正確で、説明の仕方が下手なだけでなく、教える内容自体に、かなり問題があると思う。特に英文法の教え方がひどい。

 文法偏重という批判もあるが、文法偏重だなんてとんでもない。現実は逆で、文法をまともに教えていない。だから英語ができない、英会話もできない。私は大学では英文科にいたけれども、英文法が一通り分かっていた友人は余りいなかったように思う。最近、ある翻訳の勉強会で中学の英語の教師をしていた人二人と会ったが、二人とも英文法の基礎が分かっていないようであった。私が文法用語を口にすると、他の出席者も含めて皆「文法は分からない」といった顔をしていた。文法は分からないが、勘で何とか訳しているのだ。だから、時々とんでもない訳をする。元英語教師の一人は、勘もさえていなくて、荒唐無稽な訳を随分書いていた。

 公立中学では、文法用語を使って英語を教えることは殆どない。だから、「英文法に偏った英語教育」(天声人語)というのは事実に反する。

 中学では文法をしっかり教えない。だが高校では、中学程度の文法は分かっているものとして授業が進められる。だから日本人は英文法も分からないし、英会話もできないのだ。

 文法は難しいものだ。文法用語は分かりにくい。だからしっかり理解していないと、チンプンカンプンになる。それなのに、日本の中学校でも高校でも英文法を系統的に教えていない。「文法ばっかりやっていて、簡単な会話もできない」という不満は、こういうことを背景にして出て来た的外れな批判である。

 「文法なんかいらない」という意見もあるが、文法が分からない人の負け惜しみだろう。文法をやらずして、どうやって外国語をものにしようというのか。文法は譬えて言えば、スポーツのルールのようなものだ。ルールが分からなければ、競技に参加できるわけはないし、観戦していてもつまらない。ルールは絶対に知らなくてはいけない。(文法規則は英語でgrammatical ruleと言う。)

 文法も同じである。外国語ができるようになるにはどうしても必要なものだ。それなのに文法なんか必要ないという人が多い。文法を無視して英語ができるようになろうとする人もいる。愚かだ。

 その重要な文法を日本ではしっかり教えていないのだ。例えば、動詞がよく分かっていない生徒は、不定詞を教わったらかなり混乱するだろう。だいたい不定詞という用語が分かりにくい。そういう品詞があるのかと思ってしまう。更に、不定詞の形容詞的用法や副詞的用法が出てきたら、チンプンカンプンかも知れない。

 先ず、品詞の分類をしっかり教えなければならない。品詞は文法の基礎だからだ。だが、日本の品詞の教え方は本当に下手だ。最初にどういう品詞があるか、しっかり教えるべきだ。英米の学校文法にならって八品詞とすれば、英文法には、名詞、代名詞、動詞、形容詞、副詞、前置詞、接続詞、間投詞の八つの品詞があると教える。先ず、これを丸暗記しなくてはならない。

 次に、各品詞を説明するわけだが、この説明の仕方がほんとうに下手である。

 名詞は物の名前を表すとか、動詞は動作を表すとか説明することが多いが、これでは、余りに適用範囲が狭い。「机」や「本」は、物の名前だから名詞だということはすぐ分かるが、では「美」とか「真理」は物の名前ではないから名詞ではないかというと、名詞である。「動く」や「起きる」は、動作を表すから動詞であることは誰にでも分かるが、「感じる」や「思う」は精神活動を表すから動詞ではないかというと、動詞である。

 動詞は動作や精神活動を表すといっても充分ではない。「ある」はどちらでもないが動詞だからだ。意味によって品詞の定義をすることには限界がある。

 英語には八品詞あって、30万、40万ある英単語は全て八つのどれかに属すと説明すればいいのである。品詞を一つずつ定義しようとしても、うまくいかない。全体を捉らえなくてはいけない。

 他にも、文法教育には問題がある。subjunctive moodは仮定法と訳すことが普通だが、接続法と訳さないと詐欺になることがある。bare infinitiveを原形不定詞と訳すのは、大間違いだ。toなし不定詞とすべきである。文法用語の訳がおかしいのだから、日本人に英語ができる人が極端に少なくても何ら不思議はない。

 「教師が話せないから、生徒も話せない」という見方もあるが、これは本当に見当違いだ。私は中学生の時、英会話ができると自慢していた教師二人に英語を教わったことがあるが、二人とも教えることに熱心ではなかったし、説明が下手でひどい目に遭った。一人は和訳もしないで、教科書を読んでばかりいた。

 「英語はあまりできない」と白状していた先生の方が、一生懸命教えてくれ、為になった。(おかしなことを教えられたこともあるが。)

 また、私が英語を教えた経験から言うと、生徒に会話を教えようとしても駄目だ。ごく簡単な英文でもノートを見ないと言えない。読む練習が足りないからだろうが、生徒に英語を話せるようになろうという意欲がないことも事実である。勉強だからやっている、試験があるからやっているのである。

 だから「文法や読解中心で育った教師に、明日から会話教育を求めても」(社説)実行に移せる訳はない。


タグ:英語教育
nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(1) 
共通テーマ:ニュース

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。