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グッドウィル全体が悪いのか [*マスコミ]

【PJ 2007年06月28日】-マスコミは6月中旬、コムスンと年金の問題で、持ちきりだった。両方とも厚生労働省の管轄なので、社会保障に対する不安が高まったように思う。

 コムスンの悪質さには、びっくりした。役所に嘘の申請をして、介護報酬を余計にもらっていた。それがばれて、処分を受けそうになると、事業所の廃止届を出して、連座制の適用を免れていた。こんなやり方が非難を浴びたら、親会社のグッドウィルは、コムスンの全事業を、グループ内の子会社に譲渡すると言い出した。

 厚生省は同社に譲渡の中止を求め、都道府県庁にはその子会社を事業指定しないよう通知した。その結果、グッドウィルは譲渡を諦めた。
 マスコミも、轟々たる非難を浴びせた。折口会長の自宅はもとより、軽井沢にある別荘まで出かけて、豪邸を映した。まるで、不正によって豪邸を建てたといわんばかりに、非難した。

 確かに、報道や役所の処分を見る限り、グッドウィルは不正をしている。だが、他の事業についてはどうなのか。マスコミはコムスンの不正だけを根拠にして、グッドウィルを批判し続けたが、他の子会社はどうなのか言わなかった。少なくとも私は、他の事業については見たことがない。他事業でも不正をしているだろうが、それをはっきり言わないで、糾弾してもいいのか。他の事業の不正に関してまで、グッドウィルを非難すると、同社が潰れてしまうと思って、避けたのかも知れないが、コムスンの不正だけで親会社をあんなに批判するのは、やり過ぎではないか。

 また介護に絞っても、確かに介護報酬は不正に受け取って、詐欺のようなことをしたが、介護の現場ではどうだったのか。コムスンに勤めるヘルパーは、お年寄りをちゃんと介護していなかったのか。介護事業に関して一番大事なことは、実際の介護をどれだけ丁寧にやっているかだ。役所に嘘の申請をして、介護報酬を余計にもらっては行けないが、実際にどんな介護をしているかが大切だ。テレビには、「コムスンのヘルパーは、丁寧な介護をしてくれる」と話すお年寄りが出ていた。実際の介護という一番大事なことには触れないで、コムスンを糾弾するのは、不当ではないだろうか。

 マスコミは、企業や役所が不正をしていると分かると、寄ってたかって攻撃するが、一番大事なことを忘れて批判することが多い。これでは日本人は、何が重大な不正で、何が些末な問題なのか、分からなくなってしまう。その結果何となく、ある企業などに不満や怒りを抱くことになるのではないか。

 またテレビでは、「福祉では利益を上げないで、奉仕の精神で尽くすべきだ」と言う人が何人かいたが、株式会社としてやっている以上、利益を上げてもいい。奉仕の精神で赤字を増やして、倒産したら、人に迷惑をかける。不正な手段で利益を上げては行けないが、正当なやり方なら、儲けていい。不当な利益と正当な収益を区別しないのは、どうかしている。安っぽい正義感を広めたいのだろうか。

 また介護報酬の詐取は、他の企業もやっているそうだが、グッドウィルなど悪質な会社については、警察が捜査をして、幹部を逮捕する必要があろう。

 グッドウィルは、英語で「善意」という意味だ。will の基本用法は未来を表す助動詞だが、「意志」という名詞の用法もある。「善意」という名の会社が、ひどい不正を行ってきた。偽善を言う連中こそ、悪いことをするものなのか。【了】

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ライブドア訪問記~六本木ヒルズの安全管理は厳重だった [他の評論]

【PJ 2007年06月15日】-私は5月30日、PJ 塾に参加するため、初めて六本木ヒルズの森タワーを訪れた。前にも、六本木ヒルズに来たことはあるが、オフィス・ビルになっている森タワーの中に入ったのは、初めてだ。

 PJ 塾が始まるのは6時半だが、六本木駅には5時40分頃、着いた。地下道からエスカレーターに乗って、森タワーの2階に着いた。以前ここに来た時にも、警備員が数人立っていて、不思議だと思ったが、よく見ると向かって左側に囲いがあって、人の出入りを制限していることに気づいた。大きなオフィス・ビルには何度も入ったことがあるが、このようなビルに来たことはない。

 どうしたらいいのか分からなかったが、エスカレーターの横に「偶数階は上へ」などと書いてある。ライブドアは38階なので、偶数階だ。そこでともかく、エスカレーターに乗って、3階に上がってみた。

 3階の様子も2階と同じで、向かって左側にゲートがあり、入り口に警備員が立っていた。「これは勝手に入れないのだ」と思って、案内所の人に話し掛けてみた。「38階のライブドアに行きたいのですが」と言ったら、女性の案内係は「お客様のお名前は」と訊いた。「跡見です」と答えたら、「小田宛ですか」と訊かれた。PJ ニュースの編集長は小田さんなので、私は「そうです」と答えた。そうしたら細長い紙をくれて、「これを警備員にお見せになり、D グループのエレベーターで38階にいらして下さい」などと言われた。ビルに入るのに、証明書などを示すのは初めてだ。

 ちょっと緊張しながら、警備員に紙を見せたら、入館を許された。エレベーターの方からは、ここで働いている人達がぞろぞろと歩いて来ていた。そんな人達は、機械に身分証明書を通して、出て行った。証明書を持っている人は、警備員でなく機械によって、ゲートを通過する訳だ。

 ゲートを通って、廊下を歩いているうちに、はたと気が付いた。「PJ 塾が始まるのは6時半だから、まだ45分くらいある。このビルの出入りは、自由にできない。困った。こんなビルは初めてなので、中に入ることばかり考えいて、時間を忘れていた。」と後悔した。

 エレベーターの並んでいる所に行ったら、A から D までグループに分かれていて、エレベーターが数台ずつ並んでいた。グループによって停まる階数が決まっていた。3階から出るエレベーターは偶数階にだけ停まるから、1台のエレベーターが停まる階数は随分制限されている。

 私は言われた通り、D グループのエレベーターの前に行った。時間があるので少し立っていたが、40分もいられないので、仕方なくエレベーターに乗って、38階に行った。エレベーターを降りて、右手を見たら、ライブドアの受付が目に入った。テレビで見ていたので、すぐ分かった。だが、まだ40分もあると思って、廊下をうろうろ歩いていた。ライブドアの受付のお嬢さん二人が、私を見ていた。3階の受付から、人が行くと連絡が入っていたのか。

 それでも、「時間が余り過ぎて、困った」と思いながら、廊下に立っていたら、お嬢さんの一人が私の所まで歩いて来てしまった。「これはしまった」と思った。怪しい訳ではないので、私の方から「ライブドアに行きたいのですが」と話し掛けた。そうしたら、「こちらです」と案内された。恥ずかしかった。どうして小田編集長も事務局の人も、「ビルの出入りは自由にできない」と、教えておいてくれなかったのか。

 お嬢さんに連れられて、受付に行った。「PJ 塾に来たのですが、まだ時間が40分くらいあります。どうしたらいいでしょうか。」と尋ねた。そうしたら、「こちらでお待ち頂いてもいいですし、出られても結構です」などと答えた。私が「一度出たら、もう入れないのですか」と訊いたら、「出る時に警備員に、『後でまた入りたい』と言えば、大丈夫です」などと言って下さった。

 「こちらで待つ」と言っても、どこで待つのか分からないし、時間が長いので、外に出ることにした。エレベーターを降りて、ゲートの警備員に話しをし、外に出た。3階には喫茶店があったが、薄暗いから本などは読めないし、周りの人の話を40分も聞いていたくないので、ビルの外に出た。

 当てはなかったが、隣のビルのハリウッド・ビューティ・プラザには、去年の10月、日本教育再生機構のシンポジウムに出るため来ていたので、とにかくこのビルに入ってみた。エスカレーターを上がって、3階に行ったら、ベンチがあったので、そこに腰掛けた。

 暫く休んでから、PJ 塾でどんなことを訊こうかと、手帳にメモを取り始めた。そうこうしているうちに、6時15分になったので、立ち上がった。

 飲み物が減ってきたので、1階まで降りて新しい飲み物を買い、それから再び森タワーの38階に向かった。3階のゲート内の廊下で、受付のお嬢さん一人と、すれ違った。6時23分頃、会議室に着いた。まだ一人しか、いらしていなかった。

 PJ 塾が始まって暫くしたら、トイレに行く人がいたが、その時もちょっと厄介だった。7時を過ぎると受付の人が帰ってしまい、扉を閉めるので、外に出たら入れなくなるそうで、また入れるように、編集長から IC カードを借りて、トイレに行っていた。

 森タワーの安全管理は厳重で、びっくりした。入り口で、予約をしていない人は入れないことにし、エレベーターも行き先を限定して、人の行動を制限する。日本にオフィス・ビルはたくさんあるが、こんなに厳重にしているビルは、まだ少ないだろう。果たして、ここまでやる必要があるのか。3階の廊下では、退社する大勢の人達とすれ違ったが、黙々と歩いていて、管理されているように感じた。

 これから森タワーに行く人は、PJ でもそれ以外の人でも、予約がないと入れないことを知っておいて下さい。また、手続きがいかめしくても、びっくりしないで下さい。【了】

 ライブドアのサイトで読むのなら、http://news.livedoor.com/article/detail/3200260/ で。

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民主党が社会保険庁の解体に反対したのは、支持母体の自治労を守るためらしい [政局]

【PJ 2007年06月04日】-最近の国会では、年金がよく議題に上がっている。該当者が不明の年金記録が、5000万件もあると分かって、マスコミも大きく取り上げている。確かに重大な問題だ。

 だが、民主党の対応が不自然だ。年金記録の調査が終わるまで、社会保険庁の解体に反対すると言ってきた。調査をする前に、社会保険庁を解体して、どうして悪いのか。解体したら、調査ができなくなるのか。そんなことはないはずだ。反対する理由が分からない。

 5月30日、衆議院の厚生労働委員会では、年金に関する法案を審議採決した。年金の記録を調査するための年金時効撤廃特例法案と、社会保険庁を廃止する社保庁改革関連法案を5時間だけ審議してから、採決しようとしたら、民主党が猛烈に反対した。民主党の議員は委員長席に駆け寄り、大騒ぎをした。殺気立った突進の仕方だった。審議時間が短いのは確かに問題だが、内容に問題のある法案ではないから、民主党の騒ぎ方は不自然だ。

 どうも、民主党は支持母体の自治労を守るために、社会保険庁の廃止に反対しているらしい。産経新聞政治部の阿比留瑠比記者が、「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」というブログの5月28日付のエントリーに、そう書いている。

 民主党は元々、社会党などが合流してできた政党なので、支持団体に労働組合が多い。その一つが公務員の加入する自治労で、社会保険庁の職員も多くが、自治労に加入している。同庁が廃止されると、組合員が失業するので、自治労は解体に反対している。民主党は支持母体を守るために、「年金記録の調査が終わるまで、廃止してはならない」と屁理屈のようなことを言って、社会保険庁の解体に反対している訳だ。だから委員会でも、あんなに抵抗したのだろう。

 反対する法案が採決される時に、野党議員が委員長席に詰め寄って抵抗をすることは時々あるが、いつもあんなに殺気立っていない。もっと余裕のある抗議をする。今回、必死な形相で抗議したのは、自分の選挙の時に応援してくれた社会保険庁の職員が失業したら、自分は落選すると思ったからかも知れない。

 民主党が、自治労の利害のために動いていることは、大事なことだ。だが、マスコミはそれを言わない。産経新聞にも、民主党と自治労の関係をはっきり書いた記事が、見当たらない。マスコミも左翼なので、民主党や自治労に不利になることは言いたくないのだろう。「安倍政権は支持率が急落したので、参院選をにらんで、急いで採決した」などと、批判するばかりだ。ここまで書いたら、日経は6月2日午後9時11分、サイトに民主党と自治労の関係を指摘した記事を載せた。

 5時間しか審議しないで、採決した与党も不自然だ。与党が採決を急いだのは、年金に関する不正が他にもあるが、それを野党に追及される前に、法案を成立させてしまおうと考えたからかも知れない。

 大半のマスコミは、野党の実態も与党の真意も伝えないまま、表面的な批判を繰り返すばかりだ。よく「国民の知る権利に応えるために、表現の自由が必要だ」などと言うが、それは口だけで、大事なことをわざと言わない。【了】

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サマー・タイムには反対だ [環境問題]

【PJ 2007年05月29日】-5月21日、自民党の中川秀直幹事長は経団連の幹部と会談して、地球温暖化対策の一環として、サマー・タイムを導入したいと述べた。

 サマー・タイムは夏場(5月から9月頃まで)、時計の針を1時間早めて、日の出と日の入りを1時間遅くする制度だ。北欧など日照時間の少ない国では、大抵行っている。日本では終戦直後に実施したが、国民性に合わないので、やめた。また1999年や2005年には、当時の環境庁や政治家が導入を口にしたが、国民の反対に遭って見送った。それなのに政治家はまた言い始めた。私は、サマー・タイムに反対する。

 推進派がサマー・タイム導入の理由としてまず挙げるのは、エネルギーの節約だ。時計の針を1時間進めると、日の出と日の入りが1時間遅くなるので、午前中は冷房を入れる時間が遅くなり、夕方は照明を付ける時間が遅くなる。だから、電気が節約できるという。

 確かにこの点では節約に結び付くが、時計を合わせ直す手間はどうなのだろう。日本には何十億個も時計があるだろうから、それを年に2回も合わせ直すには、膨大な手間がかかる。企業は業者に頼むこともあるから、余計な出費をする。時計だけでなく、パソコンやビデオ・デッキなどにも時計が入っているから、それも直さなくてはならない。また安い時計だと、針を進めることはできるが、遅らせることはできないので、23時間進めなくてはならず、大変だ。

 年2回、自動的に時間を合わせ直す時計も作れるので、時計メーカーはサマー・タイムに賛成しているが、そんな時計を製造販売すれば、資源もエネルギーも使うことになる。電灯を付ける時間を1時間減らしても、余計な時計を作ったら、全体としてエネルギー消費が増えるかも知れない。

 時差ボケの問題もある。外国に旅行した時ほどではないが、サマー・タイムを始めると、日本人は年に2回、軽い時差ボケになる。体の強い人は平気だろうが、お年寄りや病気がちの人には、負担がかかる。家畜なども、餌がもらえる時間が突然早くなったり遅くなったりして、体調を崩すかも知れない。

 推進派は、経済効果も上げている。日没が1時間遅くなると、会社帰りにスポーツをする人などが増えて、お金を使うと言う。仕事のあとに、スポーツをしたい人がどれほどいるのか。東京や大阪に運動場が、そんなにあるのか。エネルギーは節約できても、会社員は金を使わされるのか。為政者は、庶民の生活のリズムを勝手に変えた上に、金を出させようと言うのか。サマー・タイムそのものより、政治家や財界幹部の考え方が恐ろしい。

 北欧などでは日照時間が短いから、サマー・タイムを行っているが、日本は日の照る時間が長いから、必要ない。電気を節約するには、他にも方法がある。ネオン・サインを消す時間を早めてもいいし、クール・ビズなどで、冷房の設定温度を上げてもいい。中川幹事長らは、地球温暖化を防ぐためにサマー・タイムを考えているが、いわゆる温暖化は起きていないという説もある。せめて温暖化の正否を見極めてから、始めるべきだ。サマー・タイムには、長所より短所の方が多いはずだ。きっぱり諦めるのが、日本の為になると思う。【了】

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千葉県でも赤ん坊が捨てられたが、報道は少なかった [*事件や事故]

【PJ 2007年05月27日】-5月22日朝、豊島区北大塚のマンションのゴミ置き場に、女の赤ちゃんが紙袋に入れられて、捨ててあったので、テレビは大騒ぎした。私もびっくりした。母親は生んだけれど、育てられないので、置き去りにしたのだろう。

 翌23日には、2月に起きた乳児死体の遺棄事件で、18歳の母親が逮捕されたが、報道は少なかった。インターネットで調べた限りでは、テレビは数局が扱ったが、新聞は読売だけが記事にしたようだ。この事件は2月26日、千葉県白井市(しろいし)の雑木林で、男の赤ちゃんの遺体が見つかったもので、5月23日までに警察は容疑者として、赤ちゃんの母親とその友達の19歳の少女を死体遺棄の容疑で逮捕した。

 ゴミ置き場に捨てられた赤ちゃんも可哀想だが、生きていたのだから、保護責任者遺棄罪に当たるだけで、それほど重大ではない。だが、千葉県白井市の事件は、赤ちゃんが亡くなってしまったのだから、重大だ。容疑者の逮捕も重要だ。それなのに報道はほんの少しだった。

 私は2月下旬、千葉県のニュースを見た記憶がない。私がたまたま見なかっただけかと思って、インターネットで検索してみたら、重大な事件なのに、殆どヒットしなかった。グーグルに「千葉 白井市 赤ちゃん 雑木林 遺体」と入力して検索したら、19件しかヒットしなかった。一方、「豊島区 赤ちゃん ゴミ置き場」で検索したら、395件もヒットした。どちらでも、事件とは関係のないページにもヒットしたろうが、違いが余りに大きい。衝撃的だが、罪の浅い事件は大きく扱うのに、死体遺棄という重大な事件をあまり報じない。これでいいのだろうか。なぜだろうか。

 扱いが小さかった理由として考えられることは、ゴミ置き場に置かれた事件は、東京の豊島区という都会で起きたが、死体遺棄事件は、千葉県白井市の雑木林で起きたことだ。東京のゴミ置き場に赤ちゃんが捨てられることは滅多にないが、雑木林に捨てられることは時々あるので、衝撃度が低く、マスコミは扱いを小さくしたのかも知れない。なお、白井市はあまり聞かない地名だが、柏市と船橋市に挟まれた市で、東京に近い。田舎ではない。

 私達が日本社会について考える時、報道を頼りにする。ニュースが扱ったことは起きたことだと思うが、ニュースが扱わなければ、そんなことがあったとは思わない。知ることもできない。マスコミは事件の重要性に鑑みて、扱いを変えるはずだが、実際にはそうなっていない。メディアがあまり扱わなくても、大事な出来事もあるし、大袈裟に報じても、あまり重要でないこともある。この点を勘案しながら報道を見ないと、日本社会がどうなっているか、正しく認識することができない。両事件の報道の違いは、マスコミのそんな傾向を教えている。

 私は報道機関の体質のことばかり書いたが、赤ちゃんの人命の方が大切なのは言うまでもない。若い女の子が安易な気持ちで男と付き合い、妊娠出産してしまうことが多いようだ。豊島区の事件ではまだ容疑者は分からないが、白井市の事件では18歳の女子が自宅で出産し、その直後に死んだと供述している。少女は両親に相談せず、両親も出産に気づかなかったそうだ。遺体を部屋に2週間置いておいたが、処分に困って、友達と一緒に雑木林に捨てたと話している。

 とんでもない人達だ。もし亡くなったのなら、医師を呼ばなくてはならない。それをしないで、遺体を捨ててしまえば、死体遺棄のという犯罪になる。以前から子供を産んでも育てずに捨ててしまう女はいたが、最近は覚悟も自覚もないまま、妊娠出産してしまう女の子が増えている。たとえ「できちゃった婚」でも、父親と一緒に育てられればいいが、一部の男は無責任で、遊ぶことばかり考えている。

 親子の断絶も垣間見える。自分の子供が家で何をしているのかさえ、知らない親がいる。そんな親の子供に自覚がないのは当然とも言える。短いニュースの中にも、日本の抱える様々な問題が、凝縮して現れている。【了】

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やっぱり自転車事故は増えている [町中のマナー]

【PJ 2007年05月25日】-私は4月27日、「マスコミはどうして、自転車に乗りながら携帯電話を使う人を批判しないのか」という記事を書いた。そうしたら、ある読者が電子メールを下さって、そんな風に自転車に乗っている人が歩行者にぶつかるところを見たと、教えて下さった。私はそんな場面に遭遇したことはないが、携帯を使いながら自転車に乗ることはやはり危険なのだと、再確認できた。

 5月に入ってから、自転車事故に関連する出来事が幾つも続いたので、今回はそのような出来事を紹介して、マスコミ報道を論評したい。

 9日午前3時半ごろ、名古屋市中区の公園で、携帯電話で話していた宮崎人さんが、胸を包丁で刺された。犯人は「声がうるさい」と宮崎さんに抗議をしてきて、口論になり、宮崎さんを刺した。

 電話の声くらいで刺す人は駄目だが、夜中に公園で電話を使う人もどうかしている。時間と人の迷惑を考えるべきだ。宮崎さんはこの時、大きな声を出していたのだろうし、犯人は前から携帯の大声に怒っていたに違いない。

 だが私が報道を見た限りでは、夜中に公園にいて、電話をしていたことを責める発言は、全くなかった。刺した人は非難しても、街中の携帯使用には何も言わなかった。これでは、片手落ちだ。

 また、この事件の後でも街中では、携帯電話で話しながら大声を上げる人を何人も、見かけた。傷害事件が起きたのだから、少し反省してもいいはずなのに、全く遠慮しない。

 8日には東京の日比谷公園で、中央省庁の職員を対象にして、「霞が関自転車教室」が開かれた。サドルの高さやタイヤの空気圧の調整などを説明したそうだが、携帯使用の危険性には触れなかったようだ。警察も今までやって来たことを繰り返すばかりで、新しい事態に対応していないように思う。

 10日には東京都で警官が1000人ほど出動して、大きな駅の近くなどで自転車の乗り方を取り締まった。携帯電話を使っていなくても、自転車を安全適正に乗っていない人が多い訳だ。検挙は11件で、警告は2144件もあった。信号を無視した人などを検挙したそうだが、マスコミは検挙や警告の中身を詳しくは言わなかった。どういう乗り方が問題なのか、詳しく言うべきだ。

 それでも日テレ『ワイド』では11日、自転車に乗りながら電話を使うのは、安全運転義務違反になることあり、懲役3ヶ月又は5万円以下の罰金が決まっていると、話した。

 また同番組では、自転車が歩行者にぶつかる事故などが急増していて、1997年度には633件だったのが、2006年度には2767件に増えた、検挙件数は2003年度の112件から、2006年度には583件に急増したとも、言っていた。同年度に自転車事故で亡くなった人は、355人もいたそうだ。

 17日には、警察庁と国交省が有識者懇談会を開き、自転車専用路を増やすことなどを検討した。自転車の事故が増えているからだ。自動車専用の道も必要だが、その前に自転車の乗り方について啓蒙すべきだ。運転者の意識を高めないと、専用路を造っても事故は大して減らないだろう。警察庁などは、国民に呼び掛けることの重要性を理解してほしい。

 21日マスコミ各社は、春の交通安全運動の間に起きた交通事故の件数を報じた。死者は139人で、統計が残っている1955年以降では最も少なかったと言った。事故が減ってよかった。またこの間、12歳以下の子供が関わる事故は9件起きて、その内6件が自転車の事故だったとも言った。子供は安全に自転車に、乗っていないのだろう。学校は小学生などに、自転車の乗り方を教えるべきだ。

 5月はマスコミが、自転車事故に関するニュースを何件も扱ったが、携帯電話をしながらの運転には殆ど言及しなかった。携帯使用も、自転車事故の要因として大きいはずだから、警察や国交省も考慮に入れてほしい。【了】

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  東京都新宿区の早稲田南門通りで。電柱にこんなこんな張り紙をするほど、ここでは自転車事故が多いのか。(撮影:跡見昌治、5月22日)

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タグ:自転車
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日本人が英語ができないのは、文法が苦手だからだ [英語教育]

【PJ 2007年05月14日】-日本人は、なぜ英語ができないのだろうか。正確に言うと、なぜ英語のできる日本人が、極端に少ないのだろうか。理由は、勉強が足りないから、特に文法が分かっていないからだと思う。

 単語をしっかり覚え、文法を学び、十分に練習すれば、外国語はできるようになる。多くの日本人は、単語をちゃんと覚えていないし、文法もあまり分かっていない。練習も足りない。だから、英語ができないのだろう。

 マスコミは以前「日本人は会話は苦手だが、文法は得意で、読み書きはできる」と言っていたが、これは嘘だ。実際には会話だけでなく、文法も読み書きも苦手だ。翻訳家などが訳した本には、誤訳や意味不明な訳文がある。読み書きがちゃんとできないから、会話もできないのに、どういう訳か会話だけ苦手だと言ってきた。

 殆どの日本人が、英文法を理解していないのは、ひどい和製英語を見れば、明らかだ。文法的に考えられない和製英語が、氾濫している。「グランド・オープン」などは、恐ろしいくらいだ。動詞を修飾するのは副詞なのに、open という動詞の前に、grand という形容詞を置いている。こんなことを書く企業の人も、これに疑問を感じない一般の人も、英文法の基本が分かっていない。

 実を言うと、中学や高校の教師は、英文法をちゃんと教えていない。公立の中学では、文法用語を極力使わないようにして、文法を教える。だが大半の高校では、生徒は文法用語を理解しているという前提で、授業をするようだ。私の通った高校ではそうだった。だから、生徒は文法の説明を聞いても、理解できないことになる。

 英語に限らず、語学教師は教え方や説明が下手で、大事なことを生徒に伝えることができない。これでは、日本人が英文法をよく理解していないのも、当然だ。

 英文法では文法用語を、国文法とは違う意味で使うことも、混乱の元になる。形容詞や英語か国語の教師は違いを説明すべきだが、それをしている先生は全国を見渡しても、殆どいないだろう。

 文法の必要性は明白なのに、文法を不要とする俗説も、まかり通っている。文法は、数学の公式やスポーツのルールのようなものだ。言語を成り立たせている基本法則だ。文法を理解しないで、どうやって英語を読んだり話したりできるのか。

 更に踏み込んだことを言うと、大半の教師が、文法をどれほど正確に理解しているか、怪しい。教師自身、文法を体系的に教わったことがない。受験参考書にも、文法や解釈の間違いがある。日本人は、英文法が得意どころか、苦手だ。だから、読解も会話もできないのだ。

 文法が分かっていなくて、受験生はどうやって英語を読み解き、大学に合格するのか。勘で訳しているようだ。単語の意味を勘でつなぎ、文の意味を推測しているようだ。

 ペーパー・テストなら勘でごまかせるが、会話ではそうは行かない。単語を聞き取って、勘で文意を推測するのは難しい。読解の時には、戻って読み返せるが、会話ではそれができない。また話しは、展開が早い。早く読めるようになっていないと、言葉のやり取りについて行けない。

 だから、ちゃんと読めるようになってない人は、うまく会話ができない。会話が苦手なのは、読解がちゃんとできないからだ。大半の日本人にとって、読み書きは得意だが、会話は苦手なのではない。両方とも苦手だ。もちろん、両方とも得意な日本人もいる。

 つまり多く人が英会話に苦労するのは、文法の理解が浅く、読解力が低いからだ。それをはっきり認識して対策を立てないと、日本人の英語力はいつまでも高まらない。

 以上のことは主に教える側の問題だが、生徒の側にも問題がある。英語を熱心に勉強する生徒は、多くない。一般的に日本の子供は、点数と成績のためには勉強するが、何かを身に付けようという気持ちでは勉強しない。教師が頑張っても、生徒が一生懸命勉強しなければ、成果は上がらない。

 外国語は、簡単にできるようにならない。何年も勉強して、やっとうまくなれる。そのことが分かっていない人は、すぐ「受験が悪い」とか「教科書が駄目だ」と、人のせいにする。

 現実を見詰めて必要な改革をしないと、小学校から英語を教えても、日本人の英語力は高まらないだろう。【了】

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マスコミはどうして、自転車に乗りながら携帯電話を使う人を批判しないのか [町中のマナー]

【PJ 2007年04月27日】-携帯電話は普及して、今では9千万台も、日本に出回っているらしい。一人で、何台も持っている人もいる。

 日本で初めて持ち運べる電話機が登場したのは、1970年の大阪万国博覧会の会場でのことだ。この頃は技術的な問題があって、限られた地域でしか使えなかった。1979年には、電電公社(NTT の前身)が東京23区で、自動車電話のサービスを始めたが、これは高価で、金持ちしか持てなかった。

 その後、機器は小型になり、料金も下がっていったが、まだまだ庶民の手には入らなかった。1993年に保証金の10万円がいらなくなったら、急に普及した。もう14年も前だ。

 携帯電話が広まった当初から、歩きながら話をする人がいるので、一種の社会問題になった。近くを歩いている人が、話し声がうるさいと思って、携帯電話の会社などに苦情を言い、マスコミがそれを取り上げたのだろう。確かに声はうるさいが、大声を上げている人は、話しを聞かれていいのかと、私は心配になる。

 マスコミは1999年も、時々街中の携帯電話を取り上げていたが、この年は政府が国会に、通信傍受法案を提出していて、マスコミは「権力者は市民の通話を盗み聞きするのか」などと猛反対をしていた。だが、一般人は道で大声を張り上げて話していたので、報道は一般国民の気持ちとかけ離れていると、私は嘆息した。マスコミはイデオロギーから、通信傍受法に反対していたのだろう。

 その後、携帯電話の会社が、歩きながら通話しないよう呼び掛けたので、そんなことをする人は一時減ったが、3年くらい前からまた増えてきたような気がする。日本人のモラルは低下する一方だ。放置自転車も、中々なくならない。台数は減っても、停め方はひどいままだ。

 歩きながら携帯電話を使う人は、まだいい。他の人は、騒音を聞かされるだけで済むからだ。またメールや携帯サイトを見ながら、歩く人もいるが、これもあまり迷惑ではない。もっとも、そんなことをする人は、歩きながら明るい画面を見るので、目を悪くする。

 だが、自転車に乗りながら、携帯電話を使う人はどうだろう。片手で自転車のハンドルを握りながら、もう一方の手で電話を耳に当てて、話している人を見かける。音もうるさいが、自転車に乗りながら電話を使うのは、危ない。誰かにぶつかるかも知れない。実際、そんな人達は、時々よろけている。話しに集中したら、運転に注意が行かなくなるから、当たり前だ。

 だが、もっとひどい人がいる。自転車に乗りながら、メールや携帯サイトを見る人がいるのだ。手許の電話機を見れば、当然前方に目は行かない。前を見ないで、自転車を運転していることになる。以前から、歩きながら本を読む人はいたが、自転車に乗りながら読書する人はいなかった。自転車に乗りながらメールなどを読む人を、街で初めて見た時、私は「何てことをするのか」と心底びっくりした。

 自転車に乗りながら、携帯サイトを見る人を観察していると、時々前方に目を向けるが、大体手許の電話機を見ている。だから、しょっちゅう、よろよろしている。それでもめげずに、携帯の画面を見ながら、自転車を漕いでいる。

 更にひどい人になると、日が暮れて、辺りが暗くなったのに、画面を見ている。日が暮れただけで、自転車の運転は危なくなるはずだ。それなのに、携帯を見ながら、自転車を漕いでいる。当然、運転はおぼつかない。どうかしている。このようなことをしている人は、男より女の方が多く、特に若い女の人によく見る。

 暗い所で明るい画面を見ると、目がとても疲れて、近視が進んでしまう。目が悪い人が増えるのも、一種の社会問題だ。

 私は報道で聞いたことがないが、こんな乗り方をしていると、事故が起きるのではないか。死亡事故でなくても、誰にぶつかって転ばせるとか、ガード・レールにぶつかって、足を捻挫するとか、小さな事故がたびたび起きているはずだ。

 なぜ一般の人は、歩きながらの電話には苦情を言うのに、自転車に乗りながらの電話には、何も言わないのか。苦情を言っても、企業は広告で注意しないのだろうか。会話がうるさいのも困るが、うるさいだけでは外傷は負わない。騒音より、ケガの方が重大だ。
 自転車に乗りながら電話をする人もどうかしているが、大声さえ聞かされなければ、何も言わない周りの人も、自分のことだけ考えていて、どうかしていないだろうか。

 自転車に乗りながらの電話について、一番責任があるのは、当然そんなことをする人だ。自分も他人も危険にさらしていることに、気づくべきだ。好きなことを好きなようにしていいと、思っているのだろうか。

 次に責任があるのは、携帯電話の会社だ。歩きながらの電話だけでなく、自転車に乗りながらの電話も、広告などで顧客に注意すべきだ。

 責任は一番小さいが、一番頑張ってほしいのは、マスコミだ。マスコミは日本人全員に訴えることができるし、日本人の意識を高める役割を担っているのだから、危ない自転車の乗り方をする人に注意しほしい。
 大事故が起きてからでは、遅い。たとえ小さな事故でもいいから報道して、自転車に乗りながら電話を使う人に、警鐘を鳴らしてほしい。また、そういう報道により、日本人のモラル低下も食い止めてほしい。
 日本のマスコミは、事故が起きることが予測できても、何も言わないのに、事故が起きてからは、自らの不作為を棚に上げて、誰かを執拗に追及する。どうかしている。

 自転車の乗り方について啓蒙することは、通信傍受法に反対することより、ずっと大事なことだ。大手のメディアはイデオロギーと日本人の生活と、どちらの方が大切だと思っているのか。【了】

 ライブドアのサイトで読むのなら、http://news.livedoor.com/article/detail/3138124/ で。


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いじめをなくすためには、学校を楽しくすべきだ [教育]

【PJ 2007年04月23日】-最近マスコミは、学校のいじめ問題を取り上げなくなったが、子供の間では、まだいじめが続いているはずだ。

 いじめと言っても、嫌がらせから暴行恐喝まで幅があるが、マスコミは真剣みがないので、いじめの程度を区別しない。

 また、教師ばかり批判して、いじめる子供の責任を追及しないのもおかしい。「教師はどうして、いじめを見抜けなかったのか。どうして子供を守れなかったのか。」と、教師は執拗に追及するが、いじめる子供を非難することは、まずない。

 いじめの根本問題は、いじめる子供のはずだ。いじめる子は何か悩みを抱えていて、苛々し、誰かを攻撃しないと、気が済まないのだろう。その子自身が、兄弟や親に暴力を加えられているのかも知れない。いじめっ子の不満を解消することが重要なのだが、報道にそのような視点はない。

 いじめる子の不満を解決してやらない限り、教師が、今いじめられている子供を守っても、他の子をいじめるだけで、問題はいつまでも続くだろう。いじめっ子が、誰もいじめることができなくなったら、物を壊したり、事件を起こしたりするだろう。

 道徳教育の充実を訴える人達もいるが、それは逆効果かも知れない。道徳をしっかり教えてないことも、いじめの一因だろうから、長期的には必要だが、短期的には逆効果だと思う。苛々していて、正常な精神状態でない子供に、「こうすべきだ。ああしては行けない。」と、道徳を教えたら、もっと苛々するだろう。

 マスコミには、いじめを解決した例が出ないのも、おかしい。いじめに対処できなくて、自殺者を出す学校もあるが、日本には、いじめ問題をうまく解決した教師も、いるはずだ。それなのに、うまく行った事例は全く取り上げず、失敗した例ばかり言う。明らかに偏向している。いじめを利用して、教師を叩いているのだ。

 いじめをうまく解決した事例をテレビなどでやれば、いじめ問題に取り組んでいる教師の参考になって、解決が早まるだろう。マスコミは、成功例を取り上げるべきだ。

 そもそも、学校が明るくて楽しければ、いじめは殆ど起きないだろう。楽しいことがないから、荒っぽい子供は友達をいじめて、憂さ晴らしをするに違いない。明るくて楽しい学校にすれば、いじめは起こらないはずだ。楽しい学校を造ることが、究極の目標だ。【了】

 ライブドアのサイトで読むのなら、http://news.livedoor.com/article/detail/3131347/ で。


タグ:いじめ 自殺
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都知事はまた石原氏か。知名度だけで決めてもいいのか。 [政局]

【PJ 2007年04月13日】-今週の日曜日、4月8日には統一地方選挙があり、東京都知事選挙も行われた。実質的に、石原慎太郎氏と浅野史郎氏の一騎打ちになった。

 私は、石原氏は落選して、浅野氏が知事になるだろうと、思っていた。石原氏は、オリンピックを東京で開催したいと言うし、海外視察の時に豪遊したり、画家の四男に都の仕事を与えたりしたから、都民は愛想を尽かしているだろう、一方浅野氏は宮城県知事を三期も務めて実績があるし、行政をまじめに考えているから、当選するだろうと、予測していた。この推測には、私の願望も入っていた。

 だが結果は、石原氏が281万票を獲得して、当選した。この票数は、投票した人の半分に相当する。浅野氏は169万票だった。次の吉田万三氏(共産党推薦)は、62万票だった。大差で、石原氏が当選した。

 都民の大半は何を考えて投票したのか、いぶかしく思う。選挙公報を見てみると、浅野氏の方が真剣に考えているのが分かる。挨拶に「私は格差社会に我慢できない」などと書き、公約として震災対策や水の浄化などを挙げて、具体的だ。石原氏の方は、挨拶に「満足度世界一の東京を作りたい」などと書いた。抽象的だ。公約は8項目挙げたが、「ものづくり東京を実現します」など、スローガンのような言葉ばかりで、具体性に乏しい。

 インターネットで調べてみると、浅野氏は公約を詳しく書いて、PDF で15ページにも及ぶマニフェストを発表していた。一方、石原氏は、ウェブ・サイトに公約を載せていなかった。
 今回の選挙の大きな争点は、オリンピック誘致の是非だが、石原氏に投票した人達は、また東京でオリンピックを開催したいのだろうか。浅野氏は五輪開催に反対したが、選挙民は同氏の公約を、ちゃんと読んだのだろうか。

 五輪は今後、2008年で中国で行い、2012年はロンドンだから、IOC が2016年の開催地をまたアジアにすることはないらしい。だから、東京で開催することはできない。誘致するには、IOC の委員に説明したり、接待したりして、金がかかる。誘致できなければ、その公費は無駄になる。今回石原氏に投じた人達は、後で公費を無駄にしたと、怒らないのか。
 石原氏が選挙戦では低姿勢で通し、不祥事を謝ったことも、当選につながったのだろう。銀行税や新銀行東京では失敗したが、ディーゼル車の排ガス規制なども、評価されたのだろう。

 浅野氏の側にも、問題はある。出馬宣言が遅れたし、国旗国歌の指導に反対した。君が代や日の丸を肯定しないと、左翼は支持しても、保守派からは相手にされない。

 だが結局、投票した人の半分が石原氏を支持したのは、浅野氏より知名度や人気があるからではないか。公約を読み、候補者の実績を考えて、誰に投票するのか、決めたのではないと思う。朝日新聞の出口調査でも、「公約や政策」で選んだ人より、「資質や魅力」で選んだ人の方が、多かった。(朝日新聞4月9日付「石原氏、低姿勢で逆風かわす」)

 この選挙に限らないが、有権者は真剣に候補者を見ていないのだ。「有名だから」「ポスターがたくさん貼ってあるから」などの理由で投票する人の方が多い。選挙翌日の9日、テレビを見ていたら、石原氏が7日、江東区の商店街を遊説する様子を映していて、おばちゃん達がはしゃいでいた。政策や実行力より、知名度や人気で、候補者を見ているのだ。

 日本にはまだ、議会制民主主義が根付いていない。人気や知名度によって、誰に投票するが決める人の方が多い。選挙によって、少しでも優れた人を議会に送り、政治を行うという仕組みが、うまく機能していないのだ。

 だが、悲観することはない。知名度で投票する人の方が多いが、公約や意欲を判断して、投票する人も多い。今回、浅野氏は169万票も取った。これから、報道や教育によって日本人の意識を高めていけば、合理的な思考ができる人はもっと増えて、本当の選挙ができるようになると思う。【了】

 ライブドアのサイトで読むのなら、http://news.livedoor.com/article/detail/3118462/ で。


タグ:石原慎太郎
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選挙公約はただの目標 [政局]

【PJ 2007年04月08日】-4月8日には全国各地で、知事選挙や県議会選挙が行われた。候補者はいつものように、「当選したら、こんなことをします」と公約を示しながら、選挙戦を戦った。殆どの日本人は(きっと外国人も)、政治家の公約は当てにならないものと、なかば諦めているだろう。

 外国のことは知らないが、日本の選挙では、政治家の公約に大差はない。殆どの議員が、同じようなことを言う。「財政再建をします。教育を改革します。福祉を充実させます。」などと、似たことを言う。これでは公約の意味がない。また公約を忠実に実行しようとする政治家も、少ないように思う。

 だが公約は、知事や市長など首長の場合と、議員の場合では全く異なる。首長には、行政を行う権限がある。だが国会議員などに、そんな権限はない。議員の活動は主に、議会で法律や条例を作ることと、首長や役人に対して質問をすることだ。法律などは、なりたての議員に作れるものではないし、ベテラン議員でも一人では出来ないだろう。

 そうすると、議員の主な活動は、質問をすることになる。「この市の福祉は遅れているが、どうするのか」などと、問いただすことだ。議員は、質問することによって、行政の改善を促しているとは言えるが、実際に行政に携わることは、できない。だから議員が「私はこうします」と公約に掲げることは、嘘に近い。「私は役所に、こうするよう求めます」と言うのが、正しい。だが要求しただけで、変わることは少ない。だから政治家の公約は、実現するかどうか分からない、目標のようなものだ。

 ただ首相や知事になれば、実際に何かすることができる。だが、それも政府の今までの施策や、役所の思惑などに左右されて、自由にはできない。

 議員の活動は限られているが、選挙公約と議員のふだんの活動から、少しでも立派な議員を見抜いて、当選させていくことが、日本をよくする手立てだ。【了】
 
 ライブドアのサイトで読むのなら、http://news.livedoor.com/article/detail/3112883/ で。


タグ:選挙
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国民は本当に郵政民営化を支持したのか [政策]

 毎日新聞の投書欄に投稿しましたが、載りませんでした。

 【2005年09月16日】衆議院選挙では自民党が大勝したので、国民は郵政法案に賛成したと言っている人が多いのですが、本当にそうでしょうか。獲得した議席は与党が327で、民主党は113ですが、得票数では与党が3389万票で、民主は2480万票です。後者に国民新党や共産党など、郵政法案に反対した党や議員の得票数を合わせると、3419万票になり、与党の得票数より多くなります。

 反対派の方が得票数が多いのに、議席が少ないのは、いわゆる死票のためです。小選挙区だとそれが特に多くなるので、このような結果になったのでしょう。つまり、郵政法案に反対した国民の方が、多かったのです。獲得した議席は、与党の方が多くなったので、小泉首相も国民も与党が勝ったと思っていますが、そうとは言えません。死票が多いので、小選挙区は止めるべきです。小選挙区制は、今は民主党の副代表をしている小沢一郎氏が、自民党の幹事長の時に始めたのですが、今回は民主党が大損しました。


タグ:郵政 民営
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