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中央大学とマスコミの問題 [*事件や事故]

【2009年05月24日】-前回に引き続き、中大の事件について考えたい。

 今日山本容疑者の供述は更に漏れ伝わり、「大手の食品メーカーを辞めてから、人生が狂った」と語ったそうだ。再就職の斡旋を教授に頼んだが、それを断られたのが事件の原因のようだ。

・被害者は他の教師に相談すべきだった
 殺された高窪教授は学生に、去年の5月「山本という人が来たら、教えてほしい。思い込みの激しい卒業生がいる。」と話していたという。なぜ同僚にもっとはっきり言っておかなかったのか。教師はこんなトラブルは聞いていなかったという。

 学生でなく他の教師にはっきり話しておけば、もっと早く容疑者を特定できたはずだ。そうすれば同大の学生や教師は、4ヶ月も不安を抱えていなくても済んだ。

 何か問題があったら、一人で抱え込まず誰かに相談するのは、会社でも鉄則なのに、中央大の理工学部では実行していなかったのか。そうなら学部長などにも責任がある。

 また容疑者が卒業してからもう1度就職を斡旋してほしいと求めてきたのなら、一人でなく他の教師と一緒に対応し、断るべきだった。他の先生からも「それは求めすぎだ」と言われれば、容疑者も納得し、高窪教授を殺したくなるほど恨まなかったと思う。被害者自身の対応と同大の運営に、問題があったのではないか。

・世襲の問題
 また高窪さんの父親も祖父も、中央大の理工学部の教授だった。偶然三代続いたのではなく、祖父が父を教授にし、父が息子を教授にしたのだろう。

 政治家の世襲を禁止する案が出ているが、高窪家では教授職を世襲していた訳だ。だが高窪さんが、親の力で専任教員になったとは限らない。充分な実力があったのかも知れない。

 だがもし親の力で教授になったために、同僚や上司に相談しにくかったとすれば、身から出た錆と言われても仕方がない。この人と父親が無理して教授になったのなら、他の人がこの大学で教えられないことになり、被害を受けたのだ。

 日本のマスコミは被害者に同情ばかりして、落ち度や責任を言わないので困る。真相が分からないし、改善策も紡ぎ出せない。

・マスコミの問題
 朝日新聞は22日の記事に教員二人の話として、「『高窪さんはまじめできちょうめんな人』と評判だった。『容疑者の名前に心当たりはない。高窪教授は人から恨まれるということから最も遠い人だった』と振り返った。」などと書いた。

 こうやって褒めてしまうと、事件を理解することもできなくなる。几帳面だから学生に嫌われることもあるはずだし、へそ曲がりは温厚な人柄が気に食わないと嫌うかも知れない。こういう建前の報道が、真相を理解することや予防策を立てることを妨害する。極めて無責任だ。

 一方、加害者は糾弾することがある。加害者にも同情すべき事情があっても、それは斟酌しないで叩きのめすのだ。事件をどうしたらなくせるか、減らせるかという観点がない。

 被害者は褒めて同情し、加害者は嫌って糾弾する。これでは事件を減らすことさえできない。大衆は、加害者の追及と被害者に対する同情を求めるが、それに阿るのでは真の報道ではない。

 2度と同じような事件が起きないように、日本人に考えさせることが必要だ。ところが日本のメディアはそれをする気がない。事件が起きると嘆くが、本音では事件を増やしたい。共産革命が起きるように社会を騒然とさせたい。ためになる報道をしないのは当然だ。

 日本はマスコミに翻弄され、瓦解の道を辿っているのに、それに気づいている人は余りに少ない。

 マスコミは取材のやり方も勝手で、22日午後3時、山本容疑者が車に乗って警察署から出て来た時、カメラマンが車輌を取り囲んで、騒ぎを起こした。正面から容疑者を撮るために、数人は車輌の前に飛び出した。警官は事故が起きないように、必死の形相で制止した。

 容疑者の顔を撮るという名目だが、騒ぎを大きくしたいという気持ちもあったのではないか。テレビ朝日の女性記者は容疑者に向かって、「教授に言いたいことはありませんか」と、大声を張り上げた。声は聞こえないだろうし、たとえ聞こえても容疑者は答えない。

 ふざけている連中だ。殺人事件が起きて、みんな悲しんでいるのに、傍若無人な態度で写真を撮ったり、わざとらしいことを訊いたりする。マスコミ批判は高まり、「テレビは見ない」と言う人までいるのに、反省せずに更に過熱する。

 メディア内部にも、このような対象に殺到するメディア・スクラムを考え直す声があるが、実を結ばない。口だけで、直す気はないのだ。滅びるまで、続けるだろう。滅びるのなら、マスコミだけで滅びて、我々は道連れにしないでほしい。

・異常表現で嫌がらせ
 左翼マスコミは、言葉遣いもいつものようにダメだった。日本テレビだったか、女性記者が「中央大学の学生は卒業生が犯人だったことにショックを隠し切れない様子です」などと言った。どうして素直に「ショックを受けています」と言わないのか。こんなクリシェは聞き飽きた。嫌みな人間を増やしたいのか。

 朝日新聞は22日の記事に「大学関係者らは『トラブルの心当たりはない』と驚きを隠さない。」と書いた。「驚いている」でいい。明らかに驚いていて、隠そうとしている訳ではない。表現自体もおかしいが、現実とも合っていない。

 あちこちのメディアは「元教え子」とも言った。「教え子」という言葉は、今教えている学生だけでなく卒業生も指すから、「元」はいらない。また珍妙な言葉を増やしたのは、日本人にストレスを与えたいからか。

 マスコミは「誰々に殺人の疑いが持たれている」という異常表現を常用するが、これに嫌がらせをしたい悪意がはっきり現れている。「持つ」を受け身にするのは気持ち悪いし、「疑い」に本来「容疑」「嫌疑」の意味はない。「殺人の嫌疑がかけられている」という正しい言い方がある。だから、こんな異常なことを言う必要は全くない。嫌がらせをしたいから、異常なことをわざと言うのだと思う。「遵守」「遵法」「萎縮」を「順守」「順法」「委縮」と書くのも、嫌がらせだろう。

 メディアは物を破壊することはまずしないが、デタラメを言い触らしたり、人を不安にしたり、異常表現を使ったりして、日本人の心をむしばもうとする。究極の目的は共産革命のはずだから、戦わないと、日本は破壊されてしまう。

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