SSブログ

菅直人、予算は見直せても、景気回復は難しい [政局]

【2010年01月08日】-菅直人が後任の財務相に任命されたことについてもテレビは「小沢と良好だ」などと言ったが、野田・副財務相や仙谷・行政刷新担当相が選ばれなかったのは当然だと思う。知名度も実行力も菅の方がずっと上だからだ。

 またテレ朝の三反園などは「鳩山にしては後任選びが早かった」と言った。確かにそうだ。藤井の辞任を了承するのも早かった。長引くとまた「小沢院政か」と言われそうなので、急いだようだ。

 他の番組もワイワイ騒ぐ前に、鳩山のいいところを指摘すべきだ。メディアが騒ぐばかりだから、日本人は政治を公平に見ることができない。

・景気回復は大変
 菅はエイズ薬害で活躍したから期待する向きが多いが、それと財務省の仕事は質が違う。エイズについて官僚が隠していた資料を出させるのは意欲だけでできたと思うが、予算見直しは気力だけではできない。

 財務官僚も無駄を削減したいというが、他省の担当者が協力しなければ一般会計を見直すことはできない。公益法人が抵抗したら、特別会計も見直せない。予算見直しは進むだろうが、エイズの時のようにスパッとは行かないと思う。鳩山政権が退陣となったら、見直しも途中で終わる。

 また景気をよくするのは予算見直しより大変だ。麻生政権などは公共事業などを増やして財政出動をしたが、景気はよくならなかった。

 経済評論家の森永拓郎などは「日銀はデフレを止める気がない。マネタリー・ベースを増やせば景気はよくなるのに、わざと増やさない。」などと批判している。

 財務大臣が要請しても日銀がマネタリー・ベースを増やすとは限らない。デフレの方が日銀には都合がいいからだ。またマネタリー・ベースを増やしても、本当に景気がよくなるかも分からない。

 菅直人は予算見直しはできても、景気回復は難しいと思う。(敬称略)

・参考資料
http://www.j-cast.com/tv/2010/01/07057426.html
http://octhan.blog62.fc2.com/

ブログランキング・にほんブログ村へ

藤井・前財務相の辞任は小沢の意向とは無関係 [政局]

【2010年01月08日】-9月6日付のエントリーに、「藤井・前財務相は高齢だし、大蔵官僚だったから心配だ」などと書いたが、不安が的中してしまった。病気を理由におととい辞任した。先月28日からは検査を受けるために入院していた。後任は菅直人だ。

 体調不良は表向きの理由で、「本当は小沢一郎に嫌われたから」などとテレビは言うが、そうは思わない。予算審議は18日に始まるから、直前に辞任したら政権に大打撃を与えてしまう。そんなことは鳩山も小沢も許さないはずだ。

 藤井と小沢は元々仲がよかった。1993年には一緒に自民党を出て、自由党を結成した。

 だが最近はギクシャクしていたようだ。昨春、西松問題に決着を付けるため小沢に辞任を促してから、疎遠になった。また年末予算案を策定している時には、小沢の横槍によってガソリン税暫定税率の維持を強いられた。

 だがこれくらいのことで辞めたくなるほど、藤井は無責任ではないはずだ。

・他の要因
 テレビはあまり言わないが、国会で野党が藤井氏を追及しそうな問題がある。小沢一郎が自由党の党首だった時、藤井氏は同党の幹事長だった。解党したのに政党交付金を国庫に返納しなかったので、通常国会で説明を求める構えだ。

 予算についてだけでなく政治資金についても追及されそうなのだ。77歳だから、気が重くなり体調が悪化しても仕方がない。

 テレビが藤井辞任を小沢に結び付けるのは、小沢の影響が大きいことが知れ渡っているので、こじつけた面が強いと思う。根も葉もないことは言っても信用してもらえないが、日本人がある程度知っていることと結び付ければ信じる人が出る。メディアの歪曲には気をつけたい。(敬称略)

・参考資料
9月6日付のエントリー :
http://m-atomi.blog.so-net.ne.jp/2009-09-06

http://www.j-cast.com/tv/2010/01/06057352.html
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100106-OYT1T01532.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100107/plc1001070318003-n1.htm
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2010010702000083.html 
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/archive/news/20100107ddm005070023000c.html

ブログランキング・にほんブログ村へ

市橋達也と弁護団は言い逃れをやめよ [*事件や事故]

【2010年01月06日】-今年になってから市橋達也に関する報道は殆どないが、先月23日には殺人と強姦致死の容疑で起訴された。

 市橋は黙秘していたが、12月22日から供述を始めた。「リンゼイさんを襲った後、半日以上監禁した。話したり、パソコンでキング牧師の演説を聞いたりして過ごした。明け方になったら、逃げようとして騒ぎ始めたので、首を絞めたら死んでしまった。殺すつもりはなかった。」と話したそうだ。

 弁護団も24日の記者会見で殺意を否定し、「殺人でなく傷害致死」と主張した。被告人も弁護団も殺意を否定した上で、暴行と殺人を切り離そうとしている。刑を軽くしたいからだろう。

 まず殺意の有無によって罪名が変わる。殺す気があれば殺人罪になり、5年以上の有期懲役で最高刑は死刑だ。怪我をさせるつもりだったのに死なせてしまった場合は傷害致死罪で、3年以上20年以下の懲役だ。傷害致死の方が刑が軽い。

 首を絞めたのなら、殺意があったのではないか。静かにさせたいだけなら、叩く程度で充分だ。殺そうと思わなければ、首に手はかけないはずだ。首の骨が折れていたそうだから、空手で鍛えた腕で思いっきり絞めたのだろう。被告人も弁護団も嘘をついていると思う。

・直後に殺害か
 暴行の後に、一緒にパソコンで動画を見たのも不自然だ。なぜそんなことをしたのか。多分暴行が目的だったのだ。見る必要はない。

 暴行直後に殺したのではないか。騒がれたから殺したのかも知れないし、殺したくなったのかも知れない。女の苦しむ表情を見たい変人もいるそうだ。

 暴行と殺人を切り離したいのも、その方が罪が軽くなるからだろう。強姦罪は3年以上20年以下の懲役だが、強姦致死は5年以上から無期までの懲役だ。

 罪を軽くしようと画策する一方で、強姦を認めたのは不思議だ。「合意の上だった」と主張しても、片方は死んでいるから真偽は確かめにくい。こういう事件では大抵「和姦だった」と主張する。

 また被告人が弁護士に「黙秘の方が罪が軽くなるのか」と尋ねたのも、信じられない。逃亡したり黙秘したりしたら反省してないと見られて、罪は重くなるものだ。こんなことを知らないのか。ニュースを見ていれば段々分かる程度のことだ。

・市橋に良心はないのか
 勝手放題な一方で愚かだから、不思議だ。2年半も逃げ回っていたし、捕まった後は2週間くらい断食し黙秘した。しゃべり出したら、罪を軽くするために嘘をつく。ひどいことをしたのに、良心の呵責を感じていないようだ。

 両親の世話も拒絶した。親が嫌いなのか。仕送りをしていたから甘やかしていたはずだが、一方で厳しかったのか。また市橋が捕まる前、メディアは暴行に触れなかったと思う。被害者の名誉を守ろうとしたのだろうか。

 市橋被告人は罪をはっきり認め、反省して欲しいものだ。

・参考資料
http://www.j-cast.com/tv/2009/12/24056851.html

http://www.asahi.com/national/update/1225/TKY200912240434.html

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100101/crm1001010701001-n1.htm

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

なぜ同じ名の神社があるのか [神道とスピリチュアリズム]

【2010年01月05日】-昨日、氷川神社だけは「大宮の氷川神社」と地名を付けて書きました。それは他の氷川神社も知っているから、単に「氷川神社」とは書けなかったのです。私の住む地域の鎮守神社も氷川神社です。大宮以外にも氷川神社があるのです。

 板橋区には、氷川神社と称する神社がいくつもあります。蓮根、蓮沼町、双葉町、氷川町、大谷口、東新町、成増などにあります。

 どうして同じ名の神社があるのかというと、殆どの場合大宮の氷川神社から神様を分けてもらったからです。神社を造る時には神様を祭らなくてはなりませんが、ただ呼んでも来てくれないはずです。

 だから大きくて霊験あらたかな神社から神様を呼びます。それを勧請(かんじょう)と言います。神様に「新しい神社にも宿ってほしい」とお願いすると、神様が分かれて(分霊して)来てくれるようです。

 そうやって神を分けてもらった神社も元の神社と同じ名を使うので、同じ名前の神社が幾つもできてしまったのでしょう。氷川神社は全国に数千あると思います。港区赤坂、新宿区下落合、練馬区氷川台、東村山市、埼玉県の川口市、川越市にもあります。

 全く同じ名前でなく、「赤坂氷川神社」のように地名を付けてくれるといいのですが、私の知る限りでは大谷口にある氷川神社が「大谷口氷川神社」と称しているだけで、他は単に「氷川神社」と言っています。だから区別するには「下落合の氷川神社」などと言うしかありません。不便です。

・本社と分社
 元の神社は「本社」や「本宮」と言います。本社と言っても会社の本社ではありません。「社」には「やしろ」という訓読みがあるので、元々神社の「本社」の方が古い用法です。明治時代、英語の company を「会社」と訳したのです。

 お寺の大本は「本山」や「総本山」と言って馴染みがありますが、神社の元である「本社」「本宮」はあまり知られていません。日本は元々神道の国だから、もっと神社のことを知る必要があります。

 大宮の氷川神社は主祭神として素戔嗚尊(すさのおのみこと)をお祭りしているので、分社の氷川神社も大抵素戔嗚尊をお祭りしています。

ブログランキング・にほんブログ村へ

鎮守神社の次は一の宮や二の宮にお参りしましょう [神道とスピリチュアリズム]

【2010年01月04日】-昨日は、初詣でに行くのなら近所の鎮守神社がに参拝した方がいいと書きました。

 鎮守神社に参拝した後は、旧国に一つずつあった一の宮(いちのみや)や二の宮(にのみや)に参拝するといいと思います。

 旧国というのは、明治初期まで使っていた行政区分です。「出雲の国」や「常陸の国」という呼称です。(本来は「出雲国」「常陸国」などと書きますが、分かりやすくするため「の」を入れました。)

 今の東京と埼玉県は併せて武蔵の国でした。千葉県は大体「上総の国」と「下総の国」が一緒になりました。

 武蔵の国の一の宮は、大宮駅の近くにある氷川神社です。二の宮は、埼玉県児玉郡神川町にある金佐奈(かなさな)神社です。氷川神社は大きくて参拝者も多いのですが、金佐奈神社は埼玉県の外れにあり交通の便が悪いようです。

 神奈川県は相模の国でしたが、一の宮は寒川神社で、二の宮は川勾神社(かわわじんじゃ)です。

 伊勢神宮や出雲大社など有名で大きい神社は、大抵一の宮だと思います。

 その国の中で特に立派な神社を一の宮や二の宮に指定したのでしょうから、どこも霊験も社殿もすばらしいはずです。私は大宮氷川神社に参拝したことがありますが、立派でした。

 一の宮や二の宮はその国全体を守護するはずなので、鎮守神社の次に参拝するといいと思います。

 今でも氷川神社や寒川神社は「武蔵の国一の宮」「相模の国一の宮」と称しています。お札を納めた袋などにそう書いてあります。

 また大きな神社の格式は「官幣大社」「官幣小社」などと言って、延喜式で定めた社格です。延喜式は927年に成立した法律なので、神社ではまだ律令制度が続いている訳です。

・資料
 「全国一の宮会」のウェブ・サイト :
http://www.ichinomiya.gr.jp/

ブログランキング・にほんブログ村へ

タグ:神社 一の宮

初詣でには近所の神社へお参りしましょう [神道とスピリチュアリズム]

【2010年01月03日】-日本には、年が明けると神社に参拝する習慣があります。初詣でです。初詣でには、東京では明治神宮など大きな神社に参拝する人が多いようです。ですが、それはあまりよくありません。近所の神社の方がいいようです。

 近所の神様は、周辺の土地とそこに住む人間を守護して下さっているからです。人間が気づいていなくても、鎮守の神が守って下さっているそうです。だから明治神宮など大きな神社ではなく、鎮守神社に参拝した方がいいのです。

 近所の神社は、「氏神様」とか「産土神社」とかと言うことが多いのですが、「鎮守神社」が一番的確な呼称だと思います。

 氏神は元々一族の守り神のことだし、産土(うぶすな)は「生まれた土地」のことだから、どちらにも「周囲の土地を守る」という意味合いはありません。それを表す語は「鎮守」なので、鎮守神社と言うのが一番いいと思います。

 ですが、神主さんも「土地を守護する神社」の意味で大抵「産土神社」と言いますから、「産土神社」でもいいかも知れません。

・遠い鎮守神社
 鎮守神社は家から1番近い神社とは限りません。神社には担当地域が決まっているので、遠い神社が鎮守様のこともあります。私が住んでいる所では、3番目の神社が鎮守神社です。

 伊勢神宮や大宮氷川神社のような大きな神社ではなく、住宅地にある小さな神社は、大体江戸時代までに村ごとに造ったようです。ですが高度経済成長により住宅が増えたため、村や集落とは関係なく担当地域を決めたために、遠い神社が鎮守様になったのだろうと考えています。

 鎮守の神様は担当地域に住む人間の世話を焼いて下さっているので、他の地に引っ越すことが決まったら「今までお世話になりました」とお礼を言い、引っ越し先の鎮守様には「これからよろしくお願いします」と頼むのが礼儀だと、本に書いてありました。

 でも、これを実践している人は殆どいないでしょう。学校でも家でも神道について教えないからです。戦後、教育基本法によって宗教教育を禁じてしまったために、神社のことを知らない人が多すぎます。

 鎮守の神は担当地域で出産がある時には、ちゃんと生まれるように世話をして下さるそうです。そうすると産土の神ということになります。自宅で出産していた頃は産土と鎮守の神が一致していましたが、今のように病院で生まれると産土様と鎮守様は異なります。

 もう大きな神社で初詣でを済ませてしまった方も、これから近所の鎮守神社に参拝してはどうでしょうか。私は昨日、鎮守様にお参りしました。順番が逆になっても一向に構わないと思います。

 熱田神宮や出雲大社などは周囲の鎮守様でもあるはずなので、近くの方はもう行く必要はありません。

・参考資料
 
http://www.kaiun.bz/research/shrine.asp

 http://www.transpace.jp/index.php?%E5%88%9D%E8%A9%A3%E3%81%AF%E5%85%88%E3%81%9A%E7%94%A3%E5%9C%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%81%B8 

 http://www.nayamijiten.com/article.php/1197433224

 http://blog.livedoor.jp/soemon/archives/50372226.html

・関連エントリー
 「神社に参拝する時の作法」(8月21日) :
http://m-atomi.blog.so-net.ne.jp/2009-08-21

 「神社参拝の補足」(11月24日) : http://m-atomi.blog.so-net.ne.jp/2009-11-24-1

ブログランキング・にほんブログ村へ

今日は「元日」だが、「元旦」ではない [*国語]

【2010年01月01日】-1年の始まりの日を「元旦」と言う人が多いが、本来それは間違いだ。「元日」としか言えない。「元旦」と「元日」は意味が違う。

 「旦」は「朝」の意味だから、「元旦」は「1月1日の朝」を表す。「元日」は発音しにくいから、「元旦」と言うことが多くなったのだろう。

 『西郷南洲遺訓』(岩波文庫版)をパラパラめくっていたら、西郷隆盛の書いた漢文が載っていて、「旦夕」という語が目に入った。たまたま目にしたので、もうどのページか分からない。

 「旦夕」は「たんせき」と読んで、「朝と晩」の意味だ。大辞林など大型の国語辞典にも載っている。

 日本人がこのような語をまだ知っていたら、「元旦」を「元日」の意味で言う人は殆どいないだろう。漢語の知識が落ちてしまった。

・「旦」は日の昇る様子を表す
 漢和辞典を引いたら、「旦」の成り立ちが書いてあった。「日」は当然太陽のことで、下の横棒は地平線だ。つまり、太陽が地平線から昇ってくる様を表している訳だ。学校でこのような「旦」の成り立ちを教えたら、誤用は大きく減るはずだ。

 「元旦」を含む諺に、「一年の計は元旦にあり」がある。「一年の計画は元日の朝に決めるべし」という意味だ。中国の馮応京という人が『月令広義』に書いた言葉が起源で、元々は「一年の計は春にあり」だったそうだ。

 この場合の「春」は「年の初め」のことだ。その意味では「新春」「迎春」という言葉がある。

 漢字は面白い。漢和辞典は幾ら見ていても飽きない。漢語の本来の意味、正しい使い方も分かる。

・参考文献
『漢語林』(大修館)

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q122408357

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E4%B8%80%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%A8%88%E3%81%AF%E5%85%83%E6%97%A6%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8A&dtype=0&stype=0&dname=0ss&ref=1&index=108290400000

ブログランキング・にほんブログ村へ

新年明けまして、おめでとうございます [連絡]

【2010年01月01日】

0203A.JPG

『筆王でつくるイラスト特盛年賀状』(アスキー・メディア・ワークス)という雑誌に載っていたデザインを使いました。

 今年もこのブログをよろしくお願い致します。

ブログランキング・にほんブログ村へ

タグ:年賀状

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。