間違いに気づいた人が注意するのは義務 [*国語]
【2011年04月28日】-おとといのエントリーには、「企業や役所に抗議すべきだ」と書いた。「べきだ」と書いたのだから、義務だと思っている。間違いに気づいたのなら、黙っていないで注意するのは当然だ。
だが、それを当然と思う人は今の日本には殆どいない。私が両親に「言葉遣いがおかしいと怒っているのなら、店に注意すべきだ。」と言うと、「そんな店には行かなければいい。」と反論する。だが私が「それでは、どの店にも行けなくなる。そんな馬鹿店ばかりだから。」と畳みかけると、黙ってしまう。
・文書で伝えるべし
言葉遣いのおかしな店員に直接言うと、あとでその店に行きにくくなるから、電話で伝えた方がいい。
だが一番いいのは、文書に書いて渡すことだ。文書なら、言われた店員だけでなく店長や社長にも確実に伝わる。言葉で言うと、場合によっては店員が幹部に報告しない。報告しても詳しくは説明できない。だから文書で抗議するのが一番いい。
私も注意するが、そんなにしょっちゅうは言う訳ではない。年に数回もない。だが100万人が年に1回注意すれば、店などは100万回言われることになり、かなり反省するはずだ。
間違いに気づいても全く注意しないのは無責任だ。やれる範囲で注意すべきだ。原発事故も、関係する人間が無責任だから起きたのだ。
怒っているだけでは、問題は決して解決しない。解決しないどころか、悪化する。「なります」を連発する連中は、頭がおかしくなっているから、放っておけばどんどん異常な表現を作り出す。やめさせるべきだ。
学校で教えるようカリキュラムを変えないと、店員の言葉を根本から直すことはできない。報道の言葉使いがおかしいから、無学者はノイローゼになって異常表現を作り出す。だから報道も改革しなくてはならない。