同時テロから10年後、震災から半年後 [神道とスピリチュアリズム]
【2011年09月11日】-今日はアメリカを襲った同時多発テロが起きてからちょうど10年目だし、東日本大震災からは半年後だ。
節目の日が重なるのはなぜなのか。CIAなどがテロを起こす日としてなぜ9月11日を選んだのか分からないが、3月11日に大地震が起きたのは神が日本人に警告しようとしたからかも知れない。東北地方で大地震がそろそろ起きそうなので、日本の神々は3月11日に起こすように調整したと考えられなくもない。
このようなことを書くと、「神様は人間を守ってくれないのか」と言う人がいるが、助けてもらうことばかり考えるのは甘えだ。親が子供を突き放すことがあるように、神も反省させるべきだと思ったら人間を突き放すことがある。
神や指導霊が人間に警告を発することは、よくあるようだ。敏感で素直な人はそれを感じ取って改めるから大事に至らないが、鈍感で開き直っている人は反省せずに突き進んでしまって苦しむ。
誰にでも失敗してから振り返って、「あそこであの人の言葉に従っておけばよかった」と思うことがあるだろう。それがきっと神や霊の警告だ。霊界の発するシグナルを、しっかり受け止めたいものだ。
駄目な人間に欠けているのは、想像力でなく思いやりだ [他の評論]
【2011年09月11日】-鉢呂氏は夕べ9時過ぎに辞任した。大臣の職にあったのはたった9日間だった。
なおフリージャーナリストの田中龍作氏などは、毎日新聞の記者に防護服をなすり付ける仕草をしながら「放射能つけちゃうぞ」と言ったという話しは記者の捏造ではないかと、述べている。左翼記者でもそこまではしないと思うが、何とも言えない。鉢呂氏は普段から際どい冗談を言う人物なのか。
・思いやりが足りない
今日の本題は「想像力」という言葉の使い方だ。昨日言及したエントリーで阿比留さんがは、電車の中の暴論について「想像力の欠如は罪だと思います。」と書いた。他にも、心のない行動を批評する時に「想像力」と言う記者がいる。
だが、福島を見下した人は、被災者の気持ちを想像する力がないのではないと思う。苦しみは分かっていても、自分さえよければいいと思っているのだから、思いやりが足りないのだ。
せっかく批評しても、的外れでは効果が薄くなる。日本のたるんだ状況をを正すことにつながらない。
なお鉢呂氏は北大農学部を出て農協で働いていたから、農業には詳しいようだ。旧社会党にいたし、日教組とのつながりが深い。
・参考資料
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110910k0000m010154000c.html
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110910ddm002010153000c.html
http://news.livedoor.com/article/detail/5852621/
http://iwakamiyasumi.com/archives/12421