安倍と下村は、高校生を試験づけにするつもりか [教育]
【2013年10月17日】-最近忙しいので TOEFLを大学受験に取り入れる案はどうなったのか知らないが、政府の教育再生実行会議はまだ勘違いをしたまま教育破壊を企てている。
10月上旬、同会議は次のような案を発表した。高校生全員に基礎学力を測る試験を受けさせる。センター試験は数回受けられるようにし、結果は1点刻みではなく何段階かのランクに分けて出す。国公立の2次試験では論文や面接を重視する。
恐ろしい破壊策だ。信じられない愚挙だ。安倍や下村はここまで愚かだったのかと呆れ果てる。
大学に入るつもりの高校生は、到達度試験と入学試験と両方の勉強をしなければならない。今よりも成績や点数を気にするようになるはずだ。
だが両試験の難易度は低いし、国公立の二次では筆記試験の比重を下げるので、高校生は難しいことは勉強しなくなるだろう。高校生は試験づけになるが、学力は落ちる。学力低下を嘆きながら、学力が下がることをする。丸っきり矛盾している。
センター試験(以前の共通一次)はフランスのバカロレアやドイツのアビトゥーアを参考しているが、両国でそれは高校卒業試験と大学入試試験を兼ねている。そうしなければ高校生は試験勉強ばかりすることになってしまう。
安倍晋三や下村博文は頭がおかしい。考える力がないようだ。
・参考資料
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131005/edc13100500310000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131012/edc13101207110001-n1.htm
2学期制の中学では今が期末試験 [教育]
2学期制の中学では明日から学校が始まる [教育]
【2013年08月25日】-数年前から3学期制をやめて、2学期制にしている公立中学がある。以前は4月から7月下旬までを1学期、9月から12月下旬までを2学期、1月から3月下旬までを3学期にして、3学期制を取っていた。
だが今では都内の中学も3割くらいが、1年を前期と後期に分ける2学期制を採用しているようだ。2学期制にすると始業式や定期試験の回数を減らせるので、教育委員会などは「授業時間が増やせる」などと言うが、それはこじつけで、本当は2学期制にすると教育がよくなると漠然と思っているのだろう。
定期試験が4回に減れば、子供が勉強する機会は減り、学力は落ちる。授業時間が増えても何にもならない。2学期制は支離滅裂だ。
2学期制では4月から9月までが前期で、10月から3月末までが後期のようだ。9月末を1週間くらい秋休みにする。秋休みの分、夏休みを短くするのだろう。だから明日から学校が始まるのだ。
だが明日は新学期の開始ではない。前期の最後の1ヶ月が始まるのだ。3学期制では9月に新学期が始まるが、2学期制では9月は新学期ではない。ややこしい。
2学期制を取っている中学では9月中旬から前期の期末試験をする。信じられない。4月から7月に習ったことは夏休みの間にかなり忘れるから、子供は勉強しにくい。学力は落ちる。季節感もおかしくなる。改革でなく改悪だ。
2学期制にしても何にもならない。愚かだ。うまく行かない家族が引っ越したら急にうまく行くと思い込んで、引っ越すようなものだ。
大学は以前から2学期制で、国公立大学では前期末試験を9月にやっていたが、都合が悪いので最近は8月上旬に行うようになった。教委の連中は大学改革も学ばずに、中学の制度をいじくり回すのだ。
2学期制は何にもならないので、3学期制に戻す学校も出ている。大人の思い込みで、子供に迷惑をかけるのはやめるべきだ。
自民党の文教族がセンター試験の英語の代わりにTOEFLを受けさせようとするのも、同じように変えれば何でもいいと思っているからだろう。教育に関する議論全体をよくしないと、英語教育も改善できないと思う。
グローバル人材は、人口の数%で充分だ [教育]
【2013年06月09日】-「グローバル」という言葉が流行っている。「世界的な」という意味の形容詞だが、「グローバリゼーション」も軽薄だ。15年くらい前までは「国際化」が流行り言葉だった。表現は違うが、同じことだ。
安倍政権は「グローバル人材の育成」を前面に出しているが、文科省や経産省は10年くらい前からそんなことを考えているようだ。インターネットには役所の報告書が出ている。
「グローバル」が流行りだからか、IGSという学習塾とADKという広告代理店がネットで「グローバル人材をどう思うか」というアンケートを取った。読売新聞が報じた。
高校生や大学生の半分が、「今からグローバル化のための教育を受けても自分は間に合わない」と感じているそうだ。外国でも、留学して外国企業に勤める人は人口の数%だろう。全員がグローバル人材になる必要はない。グローバル流行は劣等感を生みかねない。
IGSと見た時、そんな名の個別指導塾があるので「それか」と思ったが、調べたら別の塾だった。読売が取り上げたIGSは渋谷に本拠を置き、アメリカの大学を受験する子供に勉強を教えている塾だ。
IGSはInstitution for a Global Society の頭文字だが、institutionは「団体」の意味だから、instituteの方がよい。塾頭の英語力は怪しい。個別指導のIGSは何の略か分からない。
Institution for a Global Societyの塾頭は慶応大や筑波大で学び、東京銀行や外資で働いたという。華麗な経歴だが、ちょっといんちき臭い。外人の先生は化学と音楽が専門だから、ディベートなどを本格的に教えるのは無理だろう。
2010年に設立したが、毎週土曜日に体験授業をやっているという。塾は普通、体験授業をそんなにやらない。塾頭は「現代ビジネス」に連載しているが、3回目は明らかに宣伝だ。うまく生徒が集まっていないのだろう。高校を出てすぐ名門大学に留学したい子供は多くない。
ここでは中1から、TOEFLを目標にした授業をやっているという。早稲田アカデミーなどにも、高卒後の留学を目指す部門がある。自民党や政府だけが先走っているのではないようだ。
IGSは言葉遣いが不自然だ。「学習塾」は普通あまり勉強のできない子供を教える塾だ。有名大学に進みたい子供を教えるのは進学塾だ。イギリス人の経歴に「英才教育高等学校(Bishop Words-
worth’s School)」とあるが、「名門高校グラマー・スクール」と言うべきだ。
個別指導塾が増える一方で、高校を卒業したらすぐ留学する子供がいる。ここでも格差が大きくなっている。
・参考資料
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130608-OYT1T00091.htm
http://www.adk.jp/html/news/2013/20130607_001819.html
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35818
センター試験を年に3回もしたら、高校生はヘトヘトになる [教育]
【2013年06月08日】-センター試験を2回行う案はそれほど悪くないが、3回やることや2年生も受験できるにすることには反対だ。
現在センター試験は1月に行うが、前年の11月や12月にやって、2回受けられるようにするのなら、弊害はあまりない。
だが年に3回するのは駄目だ。3回だとすると、1学期例えば6月にも行うだろう。そうすると学校は生徒が受けそうな科目を2年までに教えておかないと間に合わない。
英語や国語は1学期でもかなり点が取れるだろう。3年で新しく習う文法事項などはあまりないからだ。
だが理科や社会は事情が全く違う。その科目を勉強していなければ歯が立たない。例えば日本史は高校で授業を受けていないと、問題が殆ど解けないだろう。中学までに習ったことでは解答できないはずだ。
高3の6月にセンター試験をするとしたら、2年までに3年で習うはずのことも勉強しておく必要が起きる。詰め込み授業になる。私立の中高一貫校では中1の時から早めに勉強して、高2の終わりまでに6年分の勉強をするらしいが、公立の中学や高校もそうしないと間に合わない。
6月、11月、1月と3回もセンター試験を受けたら、高校生はヘトヘトになってしまう。
文科省は2年生も受験できる制度を考えているが、2年生は殆ど受けないかも知れない。まだ受験科目はあまり勉強していないし、英語や国語の勉強も進んでいないからだ。
安倍首相は6日会議の冒頭で「大学入試に過度にエネルギーを集中せざるを得ないことが、我が国の教育の問題点でもあると考えられます。」と挨拶した。
センター試験を3回もしたら、今より勉強漬けになることが分からないのか。問題を解決しようとして悪化させるのだから、愚かだ。
・参考資料
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/actions/201306/06kyoiku.html
文科省は高校生活を3年間、受験一色にするつもりか [教育]
【2013年06月06日に掲載、8日に訂正】-今朝、政府の教育再生実行会議は首相官邸で会合を開いたが、また改悪案を言い始めた。「今の入試は一発勝負でよくないから、入試を年に数回やる」というのだ。
今の入試のどこが一発勝負なのか。国公立は2次試験を前期と後期に分けて2回行っているではないか。公立大の中には中期を行うところもあるので、国公立は3回も受けられる。(有名大学は前期のみが多い。)1次のセンター試験の点数と2次試験の点数を合わせて、合否を決めるから一発勝負ではない。
センター試験の点数だけで合否を決める私立大学もあるはずだが、それは一部だ。
また私立では試験日が大学によって違うので、あちこちの大学を受験できる。帝京大の医学部は入試を2回行うし、拓殖大はどの学部も秋から10回くらい行う。カネがあれば浪人して、翌年同じ大学の同じ学部を受けることができる。「一発勝負」という批判は当たらない。
文科省は、センター試験をやめて「学習到達度テスト」を創設し、高校在学中に何度も受けられる制度を考えている。高校2年から受けられるようにするらしいから、1年の時から受験態勢に入ってしまう。進学校は今より勉強一色だ。高校生活はなくなる。文科省は高校生を受験勉強で苦しめたいのか。
文科省は教育破壊を狙っているのだろうが、それに乗せられた自民党議員や御用学者は頭がおかしい。大馬鹿だ。
・参考資料
http://news24.jp/nnn/news89059622.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130606/k10015121351000.html
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130606/dms1306061533018-n1.htm
http://passnavi.evidus.com/ippan2012/04
自民党の教育改革案が駄目なのは、下村文科相のためか [教育]
自民党よ、小学校を5年にしたら子供がすくすく育つのか [教育]
【2013年05月05日】-昨日は自民党の教育再生実行本部が去年の11月21日に公表した「中間取りまとめ」の「要点」を見て書いたのだが、「中間とりまとめ」の「本文」を読むと、こっちにも恐ろしことが書いてある。(4月に首相に渡した提言は、まだサイトに載せていない。たるんでいる。)
「現行6・3・3・4制を抜本的に見直し、区切りを柔軟に体系化することを可能とする。」とある。
表現が拙いので、真意がはっきりしない。「体系化」の「化」はおかしいし、「区切りを柔軟に体系的にする」と言い替えてもよく分からない。
きっと、学校の区切りを地方公共団体の判断で変えられるようにするつもりなのだろう。県庁や市役所の判断で小学校を5年にしたり、中学を4年にしてもいい制度を考えているのだと思う。
このようなことをしたら、不便なことが多数起きるに違いない。ある市の小学6年生が他の市の小学校に転校しようとしたら、そこには小学6年生の通える学校はなくて、中学に入学せざるを得ないということになり兼ねない。
制度いじりをしても学校教育はよくならない。教師が一生懸命に教えることが必要だ。やる気のある教師が自由にできる環境を作ってやるべきなのに、教師の負担が増えそうなことをしようとする。余りに愚かで、開いた口がふさがらない。
他の箇所にはいいことも書いてあるが、自民党の文教族は根本から勘違いをしている。
「幼稚園・保育所・認定こども園を活用して5歳児教育を義務化する。」ともある。
また「化」を誤用した。言語感覚がおかしい。5歳の子供を幼稚園などに通わせることを義務にするのも唐突だ。こども園を作っても、日本中の子供を受け入れられるか分からない。なぜ5歳児を教育するのか理由がない。
自民党は、左翼でも思い付かない破壊策を考えている。「愛国心」はあっても、知能がないのだ。「平成の教育大改革を行う」と大見得を切っているが、実際には「平成の大破壊」をしそうな雲行きだ。
・参考資料
http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/saisei-008.pdf
自民党は学校制度を破壊するな [教育]
【2013年05月04日】-自民党の教育再生実行本部は、6・3・3制の見直しも目標に掲げている。中学と高校をつなげていわゆる中高一貫校をもっと増やすのならまだいいが、複線型の学校制度にしようとしている。
学校制度には複線型と単線型がある。今の日本は単線型だ。中学や高校に制度上の違いはない。工業高校などを出ても、成績がよければ大学に行ける。
だが複線型では小学校のあとの学校に種類があって、下の学校に進学したら、どんなに猛勉強しても大学に行けないのだ。戦前の日本はこうだった。
小学校を出た後、中学に進めば高校や大学に行けたが、実業学校などに進学すると大学には進学できなかった。制度上行けなかったのだ。
今でも高校には普通科や商業科があり、成績のいい子供は普通科に行くが、工業科を出ても一生懸命勉強して大学に進学する子供もいる。
ドイツでは今でも複線型だ。小学校は誰もが同じ制度の学校に行くが、そのあとは違う。小学6年の時の成績によって進学できる学校が変わってしまうのだ。成績がよければギムナージウムに進学して大学に行ける。
だが悪いとハウプト・シューレ(基幹学校)などに行くことになり、高校にも大学にも進学できない。猛勉強しても制度上行けないのだ。小学校6年の時の成績で学歴が決まってしまうのは問題だ。
60年くらい前までは親の職業を継いで職人になる者が多かったのでこれでもよかったが、今は会社勤めを希望する者が殆どだから中卒では大変だ。学校制度が社会状況に合わなくなったのだ。
自民党の文書は表現が抽象的で、このような複線型を目指しているとは言い切れないが、教育行政で複線型と言うと大抵このような物を指す。
ドイツでは複線型の弊害が明らかになって見直しが進んでいるのに、日本では前近代的な学校制度に戻そうというのだから呆れる。
左翼のように日本を混乱させるためではないはずだが、変えれば何でもいいという短絡思考に陥っているようだ。単細胞オヤジは放っておくと、ろくなことをしない。
自民党よ、決して複線型にするな。
・参考資料
http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/economic_recovery/119466.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E6%95%99%E8%82%B2
子供に勉強を強制する前に、教え方を考え直そう [教育]
【2013年05月02日】-今回の自民党の教育改革案のを見ると、子供に勉強させることばかり考えている。大学受験生全員にTOEFLを受けさせるようとしたり、文系の学生にまで理数科目を受験させたりしようと考えている。
子供は勉強しないものだが、こんな強制するやり方でいいのだろうか。どうして勉強が必要か子供に説明して、勉強する気にさせるべきではないか。
思いやりを持って成長を見守るという姿勢ではない。子供に勉強を強制するのは当然と思っているようだ。
為政者が国民に「あれやれ、これやれ」と命令するような印象を受ける。不愉快だが、それは些末なことだ。大事なことは、このような考え方では充実した教育は行えないということだ。
勉強を強制する前に、教師のあり方こそ考えるべきだ。子供がいじめられても、見て見ぬふりをする教師がまだいる。
またどの教科も今までの教え方でいいのか疑問だ。英語については文法の説明が下手だ。
自民党の関係者は、教育とは何なのか根本から考え直してほしい。
文系私大に理数科目を強いるのは見当外れ [教育]
【2013年04月30日】-自民党は、私大の文系学部も入試で理数科目を必ず課すよう制度を変えるつもりだった。反対されてやめたが、自民党の文教族が大学入試の実情を全く知らないことを物語っている。
私大は文系の学部で、3教科出題することが多い。英語、国語、社会が殆どだが、経済学部などでは社会の代わりに数学を受けてもいい大学がある。
だが程度の低い私大は15年くらい前から、英国社のうち2科目か1科目だけ出題するようになった。少しでも受験生を増やして、受験料を稼ぎたいからだ。子供が減ったので、一つの大学を受ける学生が減り、大学の収入は落ちている。
だからこのような程度の低い大学に、理数科目を強制するのは見当外れだ。現在英語など1教科だけで入学できるのに、国語や社会は受けなくてもいいままで、理数科目を必須にするのは奇妙だ。(受験科目が1教科か2教科では学生はあまり勉強しないので、3科目に戻させるべきだ。)
文系私大に理数科目を強制しようとしたのは、理数教育を充実させて日本の技術力を高めたいからだが、文系に理数をやらせてもあまり効果はない。
理系の学生に頑張ってもらわないと、技術力は向上しない。この点でも自民党の提言は的外れだ。
教育の実情を知らない素人が、思いつきを並べた提言のように思える。
・参考資料
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20130409-OYT8T00672.htm
自民党は子供にタブレットを渡して、ゲーム漬けにしたいか [教育]
【2013年04月28日】-自民党の教育再生実行本部は、小中高の生徒にタブレットを1台ずつ支給することも考えている。これも見当外れだ。
情報教育のためというが、高校生は殆ど携帯電話やスマートフォンを持っているので、タブレットを渡す必要はない。
小学生がタブレットをもらったら、ゲームをするだろう。今でも男児はゲームばかりしているのに、それを助長する。ゲーム漬けの子供が増えるに違いない。何を考えているのか、さっぱり分からない。
情報技術でアメリカに追い付きたいのなら、大学教育にこそカネを使うべきだ。やる気があるが、経済的な理由で大学院に進学できない学生が奨学金をもらいやすくすべきだ。その方が日本の情報技術を高めるはずだ。
物を買ってやれば勉強するだろうという発想は安易だ。考え方が根本からおかしい。
カウンセラーはいじめを減らしているのか [教育]
高校教師がナンパ指南書を販売して、辞職 [教育]
【2013年02月07日】-越ヶ谷高校の定時制で社会を教えていた31歳の教師が、ナンパの仕方を教えるブログを書き、指南書を3万円で売っていたので辞職した。
教師がこんなことをするのは怪しからんが、それよりも学校でブログを書いたり本を印刷したりしたことに驚いた。
授業のない空き時間には、勉強をどう教えるか考えなくてはならない。教師は、知っていることをただ説明すればいいのではない。生徒の理解度に合わせて、内容を変える必要がある。詳しく説明しすぎると、生徒は基本も理解できないことがある。また生徒が既に知っていることばかり話したら、学力は伸びないし時間を無駄にする。
授業を進めるに当たっては、このようなさじ加減が難しい。また同じ学校の同じ学年でも、クラスによって理解度や雰囲気が違うので、それも考慮した方がいい。
空き時間には授業の進め方を考えるべきなのに、不埒なことをしていたので驚いた。ナンパを教えるブログ書いていたこと自体より、授業を熱心にしていなかったことの方が問題だ。授業がおろそかでは、生徒の国語力も英語力も伸びない。
だが、この教師がブログや印刷に費やした時間は短いのかも知れない。何年も前から問題教師はいるが、最近は下品なことをする教師が増えてきた。
・参考資料
http://news24.jp/articles/2013/02/07/07222708.html
http://www.j-cast.com/2013/02/07164595.html?p=all
文科相は体罰を全面否定するな [教育]
【2013年02月03日】-体罰問題については、まだ盲点がある。教委や文科省も全面否定してしまうことだ。
報道が体罰の程度を区別せずに全面的に否定すことを批判してきたが、それに釣られて教委や文科省も全面的に否定することも問題だ。全面否定しないと報道機関に吊し上げられるからだが、教委などは学校現場の苦労を考えていない。
1月30日だと思うが、JOCの竹田会長が文科省を訪ねて女子柔道監督の暴力について謝った時も、下村文科相は「暴力は絶対に駄目だ」などと述べた。「鼓舞するために手を上げるのならまだいいが、心や体を傷つけるほどの暴力は言語道断だ」とでも言って、軽い体罰なら容認すると暗に言うべきだった。
ケガをさせるほどの暴力は絶対にいけないが、柔道の練習でもこづく程度のことは必要だろう。
だが今までの文科相も体罰や暴力の問題が発覚した時、このように全面的に否定してきた。そのため中学では、授業中に騒ぐ子供を軽く叩くことさえできなくなったようだ。
政治家や官僚は保身を優先させ、報道の価値観に染まってしまうから、教師はやりにくくなってしまった。
軽い体罰を認めるとぶん殴る教師が出るという批判があり、実際にそうだが、ひどい体罰をする教師がいるからといって体罰を全面的に否定するのはおかしいと思う。
体罰といじめをしっかり定義せよ [教育]
【2013年01月29日】-昨日は『情報ステーション』などが豊川工業高校の体罰を取り上げた。また程度を区別せずに、体罰を批判した。極端な例を持ち出して、ある行為全体を禁止させようとするのは、左翼目ディの常套手段だ。
今回は運動部の練習中の体罰だが、授業中や生活指導中の体罰と区別する必要もある。運動部では荒っぽいことをせざるを得ない。そうしないと生徒は真剣に練習をしないだろう。暴力を振るわない顧問でも、乱暴なことは言うはずだ。
一方、自民党の文教部会は今日、いじめ対策の法案をまとめた。いじめを「学校に在籍する児童らと一定の人間関係にある者が行う心理的、物理的な攻撃」と定義したが、幅が広すぎる。これでは喧嘩もいじめになってしまう。
20年くらい前だが、従姉妹が小学生だった頃、学校が配ったいじめに関する紙を見て、驚いた。「みんなと仲良くしましょう。喧嘩などをしてはいけません。」などと書いてあったのだ。
人間が二人以上いれば、対立は起きるものだ。小学生でも喧嘩や言い合いをする。何日も攻撃したり、みんなで苦しめるのは駄目だが、言い合いも禁止してしまったら、子供の心は歪んでしまう。自民党も「ともかくいじめは駄目だ」という気持ちが強すぎないだろうか。
他の高校運動部に体罰はないのか [教育]
生徒は「叱られ役」なので体罰を受けた [教育]
【2013年01月20日】-昨日のエントリーには「マス・メディアは体罰の理由を言わない」と書いたが、plantさんがコメントで「『しかられ役を決めて集団をまとめる指導方法だった』と書いたメディアがある」と教えてくれた。
調べて見たら、確かにそのような報道があった。産経、夕刊フジ、マイナビ・ニュースがそう書いていた。だが「しかられ役」に触れた記事は5本だけで、余りに少ない。これでは理由を知る人は殆どいない。
顧問は何かというと殴っていたようだ。生徒が倒れ込むほどぶん殴ったこともあるという。「しかられ役」を作ってチームを引き締めるやり方で、大抵主将がしかられ役になったそうだ。
自殺した生徒は前日の練習試合でミスをしたので、その時も殴られた。生徒は遺書に「他の生徒も同じことをしているが、自分だけが叩かれる。辛い。」と書いていた。
ただしOBからは教師を擁護する声が出ている。「手を上げられることは覚悟して入部したし、先生のおかげで強くなった」「いいプレーをした時は誉めてくれた」「顧問に憧れて入部した生徒が多い」と語るOBも、いるそうだ。
このような指導方法を認めてもいいが、やり過ぎたということだろう。
・参考資料
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130108/crm13010814090014-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130108/crm13010822540026-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130112/waf13011207300005-n1.htm
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130120/dms1301200900005-n1.htm
http://news.mynavi.jp/c_cobs/news/terrafor/2013/01/2ch-56.html
バスケ部顧問はなぜ生徒を殴ったのか [教育]
【2013年01月19日】-今日も運動部における体罰を取り上げる。
これに関して報道は多かったが、テレビは詳しい状況を伝えていない。「前日50発殴った」などとは言ったが、教師(47歳)はその生徒をどこで殴ったのか、なぜ殴ったのか伝えていない。
理由は大切だ。理由によっては体罰も仕方がないことになるからだ。
生徒は練習をさぼったのか。身を入れて練習しなかったのか。それともキャプテンとして不充分だったのか。何か理由があるはずだ。
それなのにマス・メディアは理由を伝えていない。私も初めはひどいとばかり思って、教師はなぜ生徒を殴ったのか考えなかったが、15日頃から理由は何だろうと思い始めた。
いつものことだが、報道は全く片手落ちなのだ。「教師に殴られたことを苦にして、生徒は自殺した」とは何度も言うが、なぜ教師が暴力を振るったのかは言わない。報道の名に値しない。
新聞は理由に言及したか、今日インターネットで調べた。朝日や毎日がいいが、掲載本数が多くて全部は読めないので、赤旗にした。赤旗はこれに関して記事を5本載せたが、どれにも状況は書いていない。他紙も同じだろう。週刊誌はきっと書いている。
赤旗は、橋下市長が去年まで体罰を容認する発言をしていたと批判していて、他社と一味違う。
テレビ・ニュースはおとといから、アルジェリアで拘束された人質のことばかりで、飽きる。これについても何か大事なことを忘れているかも知れない。
・参考資料
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-11/2013011103_01_1.html
http://www.news-postseven.com/archives/20130118_166798.html
(改題)表面しか見ない人達が体罰の遠因 [教育]
【2013年01月17日】-前回は高校の運動部の顧問が暴力を振るってでも練習させるのは、他の教師や保護者が強い部を評価するからだろうと書いたが、このような風潮をなくさない限り、運動部では体罰が続くだろう。
ではそのような風潮はなくなるだろうか。否と答えざるを得ない。日本人がそれだけ賢くなる見込みはないからだ。
表面で判断する人ばかりだ。いわゆるいい学校に行っていると、幸せだと思う人が多い。有名高校や有名大学は入るのも大変だが、入ってからも勉強は大変なはずだ。だが、そう考える人はまずいない。羨ましがる人ばかりだ。
高校の運動部についても、「優勝回数が多い部は練習が厳しくて大変だろう。教師は暴力を振るいながら、苛酷な練習を生徒に強いているかも知れない。」などと思う人は、殆どいない。だから運動部の顧問教師が部員に体罰を振るうことは、今後も続いてしまうと思う。
こう考えると、運動部における体罰は決して教師一人に責任があるのではなく、周りにいる子供や大人、日本人全体の問題であることが分かる。
テレビや新聞がここまで掘り下げて考えて、日本人に「物事の表面だけでなく、裏も見よう」と呼びかけるのなら、状況は少しずつ変わるだろうが、そのような報道は聞いたこともない。左翼メディアは日本を混乱させたいのだから、そのような報道をする訳はない。
昨日アルジェリアで日揮の社員が拘束され、メディアは中心をそっちに移したので、体罰に関する報道は減って、落ち着いてきた。過熱はいけない。
教師は自分の名誉のために、生徒に苛酷な練習を課する [教育]
【2013年01月15日】-桜宮高校の体罰に関してはまだ報道が続いている。今日は義家・文科政務官が大阪に出向いて、市教委から事情を聞いた。
そのあと記者に対して「部活動が、教育のためなのか試合に勝つためなのか、分からなくなっている」などと語った。同感だ。これがきっと問題の核心だ。
顧問の教師は大会で優勝して、校内で認められたい。そのためには生徒に厳しい練習をさせなければならない。厳しい練習をさせるには、暴力を振るう必要があるのだろう。
教師の名誉のために、生徒は苛酷な練習をさせられている。生徒は教師の犠牲になっているのだ。
一生懸命練習して能力を高めプロ選手になる子供もいるが、それは少数のはずだ。大半の生徒は、何のために辛い練習をしたのか分からないだろう。
運動部で顧問が生徒に体罰を振るうのは、学校全体や保護者が強い運動部を評価することも原因のはずだ。
スポーツ強豪校で体罰は日常茶飯事か [教育]
【2013年01月13日】-桜宮高校のバスケットボール部は強豪だったという。大会で何度も優勝したのだろう。
強豪と言われる運動部では殆ど、このような体罰やしごきをしているのではないか。生徒に暴力を振るいながら練習させて強くし、優勝しているのだろう。
だがメディアはふだん「~高校の~部は地区大会で何度も優勝しています」などと言って、強豪校をほめそやすだけだ。「顧問教師が暴力を振るっている」という噂を聞いても、報じない。自殺などで表沙汰になったら、一斉に学校を追及する。余りに無責任だ。
今回の報道でも、同校のバスケ部がどんな大会で何度優勝したかなど、肯定的なことは言わない。体罰に関する否定的な情報ばかりだ。いつも一面的なのだ。
これでは日本人は考える力を段々失ってしまう。実際に思考力は落ちてきたと思う。
生徒が自殺しても体罰全体を禁じるな [教育]
【2013年01月12日】-藤本さんは人違いで殺されたようだ。とんでもない話しだ。一緒にいた友達数人は、一生ショックを引きずるだろう。
今日は体罰について考えたい。大阪市立桜宮高校のバスケ部顧問が生徒に加えた体罰は、確かにひどい。たるんでいる時に活を入れるために殴るのならまだいいが、毎日のように何十発も殴っていたから言語道断だ。
市教委は2年前、体罰の有無を調査させたが、校長は生徒に話しを聞かずに「体罰なし」という結論を出したのも大問題だ。顧問の教師と校長は人殺しと言われても、返す言葉がないはずだ。
だがこの件だけで体罰全体を否定してはいけない。訳もなく殴ったり、生徒が自殺したくなるほどの体罰は絶対に駄目だが、口で注意しても生徒がふざけ続ける時に軽く叩く程度の体罰は容認すべきだ。廊下に立たせることも体罰にしているが、定義から外すべきだ。
体罰は学校教育法が禁止しているし、刑法でいえば暴行罪で、怪我をさせたら傷害罪だが、教育には体罰が必要な時もある。それを考えずに体罰全体を禁止してしまうと、悪い子供を矯正することができなくなる。
マス・メディアは体罰の程度を区別しないで体罰全体を批判してきたので、学校では15年くらい前から軽く叩くことさえできなくなっているようだ。
そのため元々悪い子供は凶悪になっているのではないか。関東連合の連中が余りに凶暴なのも、学校で事の善悪をしっかり教わらなかったからかも知れない。体罰の程度を区別しない報道も、学校を混乱させようとするメディアの企みだ。
ただし暴力を振るわれてばかりいても性格が凶暴になってしまうので、軽く叩く程度にすべきだ。
日本テレビは毎朝、高校の前で登校する生徒を映している。何の必要もない。教師は追及すべきだが、生徒に圧力をかける必要はない。自殺した生徒に同情しながら、他の生徒は苦しめようとするのだから矛盾だ。
左翼メディアはいつものように程度を区別しないで不正を追及している。ふだん報道に怒っている人達はそれを見抜けずに、桜宮高校に怒っている。これでは日本は悪化する一方だ。
下村文科相も愚か者なので、11日「体罰はあってはならない。犯罪だ。」と述べた。今回のことは傷害罪だが、浮かれている子供を軽く叩いて正気に戻すことは必要だ。下村も保守派を自認しているが、マスコミの罠にはまっている。
・参考資料
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130111/crm13011103250002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130112/waf13011214250026-n1.htm
http://news24.jp/articles/2013/01/11/07221055.html
http://freedom-7.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-989e.html
漱石と八雲は東大で英文学を教えていた [教育]
【2012年08月04日】-最近東大の有名な英語教師と言えば、『英語達人列伝』が売れた斎藤兆史だが、この人も教養学部の教授だ。正確に言うと教養学部にいた。去年の10月から教育学部に移って、英語教員の養成に当たっている。
いい英語教師を育てるには、教育理論より英語に関する知識の方が大事だと思うが、理論を教えているようだ。
東大の英語学者としては市河三喜や中島文雄が有名だが、そんな人達より断然有名な人物が東大で英語を教えていた。それは夏目漱石だ。
漱石は小説に専念する前、東大で英文学を教えていた。それ以前は松山中学や第五高等学校で教鞭を執っていた。
漱石が東大にいたことは割と知られているが、漱石の前に東大で英文学を講じていた人物を知る人は少ない。それは小泉八雲ことラフカディオ・ハーンだ。ハーンが辞めたあと、漱石が英文学を講じるようになったのだ。
その頃(実は今も)東大は財政難にあり、外国人教師は給料が高いのでハーンは辞めさせられた。いい授業をしていたので、学生が反対運動を起こしたが、大学当局に押し切られた。
その後任を漱石が務めたのだが、そのような事情のためとてもやりにくかったそうだ。
ハーンも五高で教えていたことがあるから、両者は不思議な繋がりがある。
東大の駒場と本郷の対立 [教育]
【2012年07月29日】-大学に幾つかキャンパスがある場合、学部によって違うことがある。例えば早稲田の文学部は、政経学部など大学本体から数十メートル離れた戸山にキャンパスがある。
だが東大の場合はそうではなくて、教養学部は駒場キャンパスにあり、専門課程は本郷キャンパスにある。駒場には旧制の第一高校があったが、その建物と教員が東大の教養学部に移ったのだろう。旧制高校の教育程度は現在の高校より高く、今の大学の教養課程のようなことを教えていたらしいから、ちょうどよかったのだろう。
(ちなみに今の高校は戦前の中学が昇格した。都立小石川高校は旧制の府立五中だった。日比谷高校は府立一中だった。戦前、東京は府だった。また今の中学は戦前の組織とは関係なく、昭和21年4月に新設した。)
東京帝大と第一高校は戦前からちょっと対立していたらしい。高校の教師も肩書きは教授で専門領域を持っていたから、ライバル意識が強かったに違いない。
戦後両校は合併したから、対立は明白になったと思う。同じ大学の教養学部と専門学部だから、上下関係ははっきりしている。
だが教員の数は教養学部の方が多い。特に語学はそうだ。大学の教養課程では誰もが外国語を勉強するからだ。
文学部英文科の専任教員は10人足らずだが、教養学部に英語の専任は50人くらいいるようだ。
教養学部に属していても教員は専門領域を持っている。教員の数が多ければそれだけ研究の厚みは増すから、教養学部の方が研究も教育も程度が高くなるだろう。
また東大の教養学部は特殊で、専門課程もあるのだ。英語や経済学を専門的に学べる。科学史のような新しい領域もある。だから本郷と駒場の関係は複雑になってしまう。
ちなみに英語学に関して言うと、文学部に英語学の教員は二人だけで、二人とも生成文法をやっているので、文学部に進級した場合は認知文法や英語の史的研究(英語史や語源)で卒論を書くことはできないようだ。
本郷には言語学科もあるが、教養学部には英語音声学の教員もいるので、英語学は教養部の方がしっかり勉強できそうだ。
だがそれは教養学部・教養学科・超域文化研究分科・学際言語科学コースで行うという。制度の複雑さが名称にも現れているのだろうか。
駒場の先生が本郷に教えに行くこともあるから、文学部進級がそんなに不利な訳でもない。
20年ほど前、教養学部には廣松渉(哲学)、村上陽一郎(科学史)、蓮實重彦(フランス文学、後に学長)、舛添要一(政治学、後に国会議員)、西部邁(経済学)、見田宗介(社会学)など有名な学者が何人もいた。
・参考資料
http://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/academics/fas/dhss/ics/gengokagaku/
東大の駒場キャンパスは殺風景 [教育]
【2012年07月25日】-東大には主なキャンパスが二つある。文京区の本郷と目黒区の駒場だ。
駒場は元々旧制第一高校の敷地だった。終戦直後、東京帝国大学や第一高校を合併して新制の東大を作ったが、そのまま使うことにしたらしい。
本郷キャンパスには何度も行ったことがあるが、駒場キャンパスには数回しか入ったことがない。1度目は学園祭の時で、校内は賑やかだった。2度目は日が暮れていたので、様子はよく分からなかった。最近久しぶりに行ったら、びっくりした。
構内が殺風景なのだ。正門前に煉瓦造りの時計台があるが、それ以外の建物は白や灰色で味気ない。10年くらい前一高から続く学生寮を壊そうとした時、学生自治会が反対してニュースになったが、寮の跡地に建てた食堂も外観は銀色で暖かみがない。
道から教室を覗いたら、学生はまじめに授業を聞いていた。どのクラスも理系なのか、男子学生ばかりだった。「こんな殺風景な所でよく勉強する気になるものだ」と不思議になった。
歩いていたら、心が段々沈んできた。真冬寒い時に来たら、心身共に冷え冷えとしそうだと思った。
18号館に入ったが、建物の中も白や黒ばかりで味気ない。東大を卒業した友達がずっと前「駒場はちょっとな」と言っていたのを思い出した。きっとこの殺風景な情景が嫌いだったのだろう。
運動場が多いのは意外だったが、道がまっすぐ走っていないのも難点だ。設計に熱意がないのは官立だからだろう。
正門前の立て看板には、新しい自治会長が決まったと書いてあった。写真を見たら女子学生なので驚いた。東大生のようには見えないので、もっと驚いた。知的な風貌ではないし、美人でもないのだ。
日本の大学の頂点に立っているはずの東京大学が、心配になってきた。(東大を「最高学府」と言う人がいますが、それは間違いです。「最高学府」は「大学」の意味だからです。)
(改題)コードを首を巻かれて、マフラーができなくなった女子学生 [教育]
【2012年03月17日に掲載、18日に訂正】-前回取り上げた毎日新聞の記事のページには、「津市立三重短大:准教授、女子学生の首をコードで絞める」という記事のリンクがあった。これも教師叩きの記事だろうと思ったが、読んでみた。
やはり教師叩きだった。だがそれより、女子学生がか弱いことに驚いた。
記事は、同短大の准教授(男、45歳)が授業中にパソコンの電源コードを女子学生(21歳)の首に巻き付けて絞めたと非難している。だが、どうして教師がそのようなことをしたのか書いていない。
たぶんこの学生は騒いでいて、教師が何度注意しても言うことを聞かなかったのだろう。それで、教師は堪忍袋の緒が切れたのだろう。「いい加減にしろ」と言いながら、コードを巻き付けたのかも知れない。
何の理由もないのにこんなことをしたのなら、新聞は大抵そう書く。理由に触れていないのは、元々学生に原因があったからだろう。作為的な記事だ。
たとえ学生が授業中に騒いでも、コードで首を絞めてはいけない。厳しい見方をすれば、暴行罪や傷害未遂に当たるだろう。だが、学生の行状に触れずに教師の行いだけ責めるのは、不公平で不当だ。
・勝手なのに、か弱い
私が驚いたのは、女子学生は「精神的ショックで、マフラーなどを首に巻けなくなったという。」と書いてあったからだ。
もし元々自分が悪いのに大きなショックを受けたのなら、とんでもない。悪さはするのに、弱すぎるからだ。
以前なら悪い人間は図太くて、簡単にはへこたれなかったはずだ。ところが最近の若者、特に女の子の中には、普段は勝手なことをしているのに、注意されると衝撃を受けてしまう子が増えているようだ。
どうしてなのか。原因を究明してから、対策を立てるべきだ。
・リンク
http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2012/03/05/20120305ddm041040058000c.html
毎日新聞よ、競艇場で通信簿をつけるのがそんなに悪いのか [教育]
【2012年03月15日】-昨日左翼マスコミは、大阪府羽曳野市立峰塚中学の教師(男、50代)が競艇場で通信簿をつけていたと批判した。学校叩きだ。
確かに自慢できる話しではない。教委は通信簿を校外に持ち出さないように指導していたというから、その違反も重大だ。だがテレビや新聞で大袈裟に追及すべきことだろうか。
NHKはBSニュースで午後2時前、取り上げた。たった10分のニュース番組でやることはない。毎日新聞は、関連する記事を3本も載せた。しつこい。
・校長は反省しすぎ
この教師は競艇などをやって、たるんでいたから、批判されて当然だ。だが校長や他の教員も萎縮してしまう。それが問題だ。
実際に校長は記者会見で「取り返しのつかないことをしてしまった」と平身低頭した。この教師と共に卒業生の家を1軒ずつ回って謝るというから、反省しすぎている。
グーグル・ニュースで検索したところでは、東京新聞、時事通信、毎日放送もこれを記事にした。
NHKはこの日、佐賀県神埼市の小学校教頭が「子供貯金」から1900万円も横領していたことも報じたが、毎日新聞は11日に1回記事にしただけだ。写真もない。こっちは氏名を出したが、泥棒の方が扱いが小さいのだ。異常だ。
・誰が写真を撮ったのか
毎日新聞は、その教師が競艇場の机の上に通信簿を広げている写真を載せた。左の写真だ。他のメディアは載せていない。
近くにいた他の客が写真に収めたという。この人の情報提供によって記事を作成した訳だが、普通こんな教師を見つけても新聞などに通知しない。また、真後ろから撮ったので不自然だ。
「近くにいた他の客」は嘘ではないか。本当はこの教師は以前から通信簿を競艇場などに持ち込んでいたので、それをやめさせたい他の教師(たぶん日教組か全教の教師)が知り合いか探偵に頼んで、証拠写真を撮ったのではないか。
そうなら報道機関を使って不正をやめさせ、学校に恥をかかせたことになる。メディアは左翼教師に利用されたことになり、それも問題だ。
いずれにしても、左翼メディアは教師の些細な不祥事を大袈裟に取り上げて、学校を追い詰めることがあるのだ。
・参考資料
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120314k0000m040116000c.html
http://mainichi.jp/photo/news/20120314k0000e040186000c.html
http://mainichi.jp/select/opinion/kinji/news/20120314k0000e070217000c.html
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120312k0000m040092000c.html
日本はこれから子供が増える。震災後、結婚が増えたから。 [教育]
【2012年01月31日】-昨日、国立社会保障・人口問題研究所が「日本の人口は40年後9千万人を切る。子供が減り続け、老人が増える。」と発表したので、左翼メディアはそれを大きく取り上げた。
20年くらい前からずっとこう言って来た。幾ら批判しても反省しない。暗いニュースを強調して日本人の心を暗くし、もっと衰退させようという魂胆だ。
統計上では出生率は上がっていなくても、東日本大震災のあと結婚する人が増えている。英文ニュースの Japan Today は、そういう内容の記事を10月23日と1月17日掲載した。調べてみたら、朝日や産経もそのような記事を載せていた。
・『情ステ』
だが今回はまた不安ばかり煽って、「仕事と子育てが両立しない社会だから、子供は減る」と作り話を撒き散らした。専業主婦が多かった頃の方が兄弟が多かったから、これは全くデタラメだ。
テレ朝系の『情報ステーション』は出産したばかりの母親を二人も出して、「出産のあと仕事を見つけるのは難しい」などというインタビューを流した。
子供を育てる若い夫婦は大抵、祖父母の協力を得ているはずだが、そのような典型的な例は取り上げず、特殊なことを言う特殊な女ばかり出す。左翼か勘違い女だろう。
祖父母の協力に言及しないのは、核家族を増やして日本の伝統の継承を妨害したいからだろう。
『情ステ』は就職活動をする女子大生にもインタビューし、「子供を産んでも養っていけるか自信がない」という話しを放送した。養うのは父親のすることで、母親は原則として育児に専念するのだ。執拗に育児不安を煽った。
左翼マスコミは「共働きして、育児に祖父母の協力を得ない」という家族モデルを勝手に作って、それを繰り返し吹聴し、子供が減るように画策している。
出生率の低下は左翼マスコミの自作自演だ。日本人はデタラメに惑わされずに生きていくべきだ。
http://www.excite.co.jp/News/economy_g/20120106/Itnetworks_tax_news_VG75GZqJW.html
今の高校には社会科がない? [教育]
【2012年01月22日】-今までセンター試験についてエントリーを3本書いた。18日から薄々感じていたが、今日になったら高校では「社会科」がなくなって、「地理歴史科」と「公民科」に分かれたことを思い出してきた。1994年から高校には「社会科」という教科がないのだ。
26歳以下の人は気づいていただろうが、それ以上の人は高校に社会科がなくなったことをはっきりとは知らないだろう。
「社会科」を「地歴科」と「公民科」に分けるのは余りに恣意的で、理解しがたい。政経は、世界史と重なる部分がある。
科目が10もあることだけでなく、高校の社会科を二つに分けたことも問題だが、読売の社説も触れていなかった。
教育がよくなることはない。制度の改悪が続いているから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%A7%91%E6%95%99%E8%82%B2#.E6.AD.B4.E5.8F.B2