新聞の社説にも建前がある [*マスコミ]
【2010年09月02日】-新聞の社説は大抵「民主党の代表選挙では、大いに政策論争をして欲しい」と書いている。東京新聞は9月1日付の社説で「選挙戦突入は当然の判断だ。」と断言した。
だが、小沢は本来出馬する資格がないのだから、当然とは思わない。
産経は9月1日付の「主張」で、「選挙戦が行われる以上、首相と小沢氏は堂々と政策で競い合ってもらいたい」と論戦を肯定した。
だがそのあとに「(小沢氏は)政治とカネの疑惑も説明しておらず、出馬の適格性を問われている。国民の不信を払拭しない限り、最高指導者となる資格はない。」などと論じた。本当は出馬する資格がないと思っているのに、「政策で競い合ってくれ」と書いた訳だ。
新聞としては「小沢氏は疑惑があるから立候補を取りやめろ」とは言いにくいから、「論戦をせよ」と主張するのだろう。でも本音では出馬をやめて欲しい思っているに違いない。
新聞の主張にはこのような建前があるから、そのまま受け取る訳にはいかない。制約があるのだ。
「こんな政治家は刑務所に入るべきだ」と思っても、そうは言わない。「説明する重大な責任がある」とでも言うのが精々だ。あまり強烈なことを書くと、政治家を怒らせてしまって、取材ができなくなってしまう。
・参考資料
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2010090102000040.html
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100901/stt1009010257002-n1.htm
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