死者が出ないと反省しない駄目民族 [町中のマナー]
【2011年05月01日】-前回の続き。では役所やメディアがやる気を出しそうかというと、出しそうもない。今でも放置自転車の被害は出ている。通行を邪魔するし、怪我をする人もいるだろう。
だが、撤去するだけで、やめるように呼びかけることはない。死者は出ていないからだろう。何人も死んだら、やっと対策を講じると思う。死なないと反省しないのだ。
15年くらい前、若い女に厚底靴が流行ったことがあった。危ないことは明白だが、足をくじいただけでは批判は起きなかったと思う。ブレーキを踏み損ねて交通事故を起こしたら、やっと批判が出た。怪我人が出ないと反省しないのだ。
長いマフラーも見るからに危険だが、ゴー・カートで死者が出て初めて新聞は記事にした。歩きながら携帯電話を見たり、ポータブル・ゲーム機で遊ぶのも当然危ないが、メディアはめったに注意しない。
去年の3月には、京浜東北線で携帯電話を使って話していた男が、注意されたら逆恨みをして、注意した人をプラットフォームから突き落とす事故が起きた。メディアは事故を大きめに伝えたが、携帯使用はあまり批判しなかった。
去年の夏には、駅のフォームでゲームをしていた小学生が線路に落ちたが、それが危ないと指摘したメディアは少なかった。私は夕方のニュースで1度見ただけだけだ。小沢の資金疑惑より人命の方が大事だが、死者や怪我人が出ないと大きく取り上げないのは異常な状況だ。
ことはなかった。
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