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デフレ陰謀が失業者を増やしている [*経済]

 アマゾンの「森永卓郎著『日本経済「暗黙」の共謀者』」に書いた書評

 【2005年10月02日】-びっくりする内容だ。今の不景気は、企業、日銀、エコノミスト、ハゲタカ・ファンドなどが、自らの利益のために引き起こしていると言うのだ。特に外資のハゲタカ・ファンドはデフレにして、資産価値を落としてから買い取り、インフレになったら高く売って、儲けようとしているという。信じられない話だが、本当だと思う。10年くらい前からエコノミストが、不良債権の処理を執拗に主張してきたのは、景気を悪化させたかったからだろう。

 だが、企業や金持ちが不景気を望んでいるというのは、勘ぐりだと思う。企業は、賃下げができるようになって、喜んでいると著者は言うが、売り上げが落ちて、企業は苦しんでいる。金持ちは、不動産の価格が落ちて、買いやすくなり、喜んでいるとあるが、そうとは限らない。金持ちが既に持っている不動産も、安くなった。全体的に勘ぐりの多い本だが、ハゲタカなどがデフレを画策しているという主張は、正しいと思う。

 この本が出て、4年近く経とうとしているのに、共謀に気づく人が殆どいないのは、どういう訳か。日本には、解雇されても深く考えずに生きている人が多いのだろうか。政治家や役人は、無責任だから、騙されたことに気づいても、改めないのだろうか。


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日本人はどうして英語ができないか [英語教育]

 11年前、朝日新聞の「論壇」に投稿したけれど、載らなかった文章です。

【1997年8月10日】- 6月下旬、文部省の中教審は、大学受験から英語をはずすよう提言した。受験英語は英語嫌いを生み、入試が終わるとすぐ忘れるからという。

  日本は、不思議な国だ。教育の問題は、何でも入試のせいにされる。いじめも登校拒否も、受験のせい。英語ができないのも、入試のせい。神戸の事件でも、中学生が逮捕されたので、受験のためだと言う人がいる。他の国に、入試はないのか。

 ある。ほとんどの国で、入学試験をしている。受験競争もある。それなのに無責任な人達は、日本にしか受験がないかのようなことを言う。

 教育問題の原因は、入試にあるのではない。文部省もマスコミも学者も、何十年も受験を諸悪の根源にしてきた。的はずれな議論をしてきた。これでは、教育はよくならない。

 では、なぜ日本人が英語ができないのか。正確に言うと、なぜ英語ができる日本人が極端に少ないのか。答は、単に勉強が足りないからだ。

 単語をしっかり覚え、文法を学び、十分に練習すれば、外国語はできるようになる。多くの日本人は、単語もしっかり覚えていないし、文法もちゃんと分かっていない。練習も足りない。だから、英語ができない。

 一般に「日本人は、文法は得意で、読むことならできる」と言われているが、これも神話だ。実際には、文法がほとんど分かっていない。だから、単語もなかなか覚えられない。本当は苦手なことを得意と言い張っていては、英語のできる日本人を増やすことはできない。

 実は教師は、文法をしっかり教えていない。英語に限らず、語学教師は、説明が下手だ。理路整然と説明しない。ちゃんと説明しないで文法用語を多用するから、生徒には、文法ばかり教わったという印象が残る。

 生徒の大半は、文法用語が分かっていない。用語が分かっていなければ、説明も理解できない。だから、いつも勘で英語を訳すことになる。

 ペーパー・テストなら勘でごまかせるが、会話は勘ではできない。一流大学を出ても、簡単な会話もできるようにならない。こうして、「文法ばかりやったから、会話ができない」という神話が、できあがる。

 文法の必要性は自明なのに、文法を不要とする俗説がまかり通っている。中教審も、文法の重要性を認識していないようだ。

 外国語学習の基礎になる文法を学ばずに、どうやって読解や会話に熟達するのか。文法は、数学の公式のようなものだ。言語を成り立たせている「基本法則」だ。文法をいらないものと仮定して議論したのでは、有効な対策は立てられない。

 また、読解と会話を、別個のように言う人がいるが、おかしい。同じ英語である。文字でなら分かるのに、音声では分からないということはない。会話ができないのは、読み書きがちゃんとできないからだ。

 話しは、展開が早い。早く読めるようになっていないと、会話にはついて行けない。いつも勘で読んでいるから、耳のそばを音声が素通りする。話そうとしても、言葉が出てこない。会話ができないのは、読解ができないからだ。

 つまり原因は、大学受験にではなく、中学・高校の教育にある。中高で、文法を基礎から教え、教科書をじっくり読ませなくてはならない。音読の練習をしっかりしておかないと、英語は口から出てこない。

 教師の側だけに、問題があるのではない。生徒にも問題がある。英語を熱心に勉強している生徒は、少ない。一般的に日本の子供は、点数と成績のためには勉強するが、身につけようと気持ちでは勉強しない。教師が頑張っても、生徒が熱心でなければ、英語はうまくならない。

 それなのに中教審は、「入試が英語嫌いを生む」と主張している。もしそうなら、付属高校から大学に進学した者は、英語が好きなはずだ。そういうデータを示してもらいたい。なければ、ただの言いがかりだ。

 外国語は、簡単にできるようにはならない。何年も勉強して、やっとできるようになる。このことが分かっていない人は、すぐ「受験が悪い」とか「教科書が駄目だ」と、的はずれなことを言う。努力した者だけが、報われるのだ。

 根本から変えないと、小学校から英語をやっても、何にもならない。文部省と中教審のしていることは、教育の改革ではなく、破壊である。


タグ:英語教育
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日本の英語教育 [英語教育]

【1995年02月12日】-日本人は英語ができないと言われている。正確に言うと、英語のできる人が余りに少ないと言われている。なぜだろうか。

 いろいろな理由が挙げられている。受験勉強のせいだとか、教師が英語ができないからだとか。だが、どれも説得力がない。

 本当の理由は、単純明快だ。勉強が足りないのである。そして勉強の仕方が悪いのである。

 日本人は英語を馬鹿にしているところがある。「アメリカに行けば子供でも英語を話している」などと言う人が多い。確かにそうだけれども、どこの国でも子供はその国(その地域)の言葉を自然に話せるようになる。アメリカに限ったことではない。

 英語を馬鹿にするのは、英語は他の外国語に比べて比較的簡単だと思われているためでもある。実際、ドイツ語やフランス語に比べた場合、英語は易しい。ラテン語やロシア語と比べたら、英語の方がずっと易しい。だが、それでも英語という言語をものにすることは、とても大変なことだ。

 英語ができるようになるには努力しなければならないのに、「英語なんか簡単だ」と思っているから、真剣に勉強しない。だから英語ができるようにならない。

 英語ができるようになるには、まず単語をしっかり覚えなくてはいけない。次に、文法を理解しなくてはいけない。このふたつを身につけていれば、外国語はある程度使えるのである。ところがこういう当然の努力をしない人が余りに多い。

 そして、英語ができないことを教師や制度のせいにしてしまう。「教師が英会話ができないから、生徒は簡単な会話もできない」とよく言われるけれども、的外れである。どんなに教師が優秀であっても、熱心に教えなくては、生徒の英語力は向上しない。私自身中学生の時、英会話ができると自慢していた教師二人に英語を習ったけれども、二人とも熱心ではなかったので、学力の向上には結びつかなかった。

 また、英語をうまく教えることがとても大事だ。日本には熱心な教師はいるけれども、英語をうまく教えられる教師はとても少ないようだ。教師がうまく教えなくては、生徒は英語ができるようにならない。

 うまく教えるということは、第一に分かりやすく説明することである。英語に限らず、日本の語学教師は日本語が下手で、何を言っているのか分からないこともある。 

 第二に、文法をしっかり教えなくてはいけない。日本の英語教育は文法偏重と言われているが、実際には文法偏重なのではなくて文法軽視なのだ。中学でも高校でも、塾でも予備校でも、文法を体系的に教えていない。文法をしっかり教えないで文法用語を多用するから、生徒は文法ばかりやっていると感じ、英語ができるようにならない。

 文法の基礎は、品詞の分類である。この品詞の教え方が、特に下手だ。

 まず、伝統文法にならって、八品詞とするなら、何十万とある英単語はすべて八つの品詞のどれかに属すると教えなくてはいけない。それから、各品詞の特徴をしっかり教える。こうしないと、決して英文法は分かるようにならない。形容詞や副詞がどういう語なのか分からない生徒に、比較級や最上級を教えても何にもならない。

 また、同じ語が、いくつかの品詞で使われることも多い。こういう語に関しては、常に何詞として使われているか注意しなくてはいけない。

 私が英語を教えた経験から言うと、生徒は難しい文法事項が出てきたりすると、「変だ」といって受けつけないことがある。外国語は何語でも、母語に比べたら不自然極まりない。素直に覚えなくては、外国語はできるようにならない。

 本当の理由を知らないまま、いくら議論しても何にもならない。日本人はなぜ外国語が苦手なのか、本質的な議論が必要である。

・朝日新聞
 1994年8月31日の社説と9月3日の天声人語は、英語教育を取り上げているが、同じく一番大事な点を忘れている。

 それは、学習者の努力だ。どんなに教師が優秀でも、どんなに教材がよくできていても、生徒一人一人が一生懸命勉強しなければ、決して英語はできるようにならない。この一番大事なことが、日本の議論ではなぜかすっぽり抜け落ちている。

 そもそも外国語は何語であっても、とても難しいものだ。先ず発音が違う。文字が違うこともある。文法が違う。それなのに、日本人は外国語はそんなに難しくないと思っているようだ。「アメリカに行けば子供だって英語を話している」などと英語を馬鹿にする人もいる。主要な現代語の中で一番難しいと言われているロシア語だって、ロシアに生まれ育てば誰もが一応話せるようになるのに。

 日本語と英語は文字も違うし、文法構造が全く違うから、日本人は英語ができないのではないかと言う人がいるが、同じ漢字を使っている中国語もかなり難しい。中国では、簡体字という日本と違う省略体を使っているので、見慣れない字が多い。発音も難しい。音素(最低限区別すべき母音と子音)の数も多いし、漢字の読み方がすごく覚えにくい。漢字を全く知らない欧米人に比べたら、中国語は日本人に簡単だろうが、真剣に取り組まなければ何年やってもちゃんとできるようにはならないだろう。

 生徒がしっかり勉強していないだけでなく、教師もちゃんと教えていない。

 先ず、教師は「日本語が下手」(天声人語)である。旺文社の大学受験講座を聞いていると、国語と数学の教師は理路整然と話しているのに、英語の教師は話しが余りうまくない。最近はかなりよくなったが、以前はひどくて、とても分かりにくかった。

 また、言葉遣いが不正確で、説明の仕方が下手なだけでなく、教える内容自体に、かなり問題があると思う。特に英文法の教え方がひどい。

 文法偏重という批判もあるが、文法偏重だなんてとんでもない。現実は逆で、文法をまともに教えていない。だから英語ができない、英会話もできない。私は大学では英文科にいたけれども、英文法が一通り分かっていた友人は余りいなかったように思う。最近、ある翻訳の勉強会で中学の英語の教師をしていた人二人と会ったが、二人とも英文法の基礎が分かっていないようであった。私が文法用語を口にすると、他の出席者も含めて皆「文法は分からない」といった顔をしていた。文法は分からないが、勘で何とか訳しているのだ。だから、時々とんでもない訳をする。元英語教師の一人は、勘もさえていなくて、荒唐無稽な訳を随分書いていた。

 公立中学では、文法用語を使って英語を教えることは殆どない。だから、「英文法に偏った英語教育」(天声人語)というのは事実に反する。

 中学では文法をしっかり教えない。だが高校では、中学程度の文法は分かっているものとして授業が進められる。だから日本人は英文法も分からないし、英会話もできないのだ。

 文法は難しいものだ。文法用語は分かりにくい。だからしっかり理解していないと、チンプンカンプンになる。それなのに、日本の中学校でも高校でも英文法を系統的に教えていない。「文法ばっかりやっていて、簡単な会話もできない」という不満は、こういうことを背景にして出て来た的外れな批判である。

 「文法なんかいらない」という意見もあるが、文法が分からない人の負け惜しみだろう。文法をやらずして、どうやって外国語をものにしようというのか。文法は譬えて言えば、スポーツのルールのようなものだ。ルールが分からなければ、競技に参加できるわけはないし、観戦していてもつまらない。ルールは絶対に知らなくてはいけない。(文法規則は英語でgrammatical ruleと言う。)

 文法も同じである。外国語ができるようになるにはどうしても必要なものだ。それなのに文法なんか必要ないという人が多い。文法を無視して英語ができるようになろうとする人もいる。愚かだ。

 その重要な文法を日本ではしっかり教えていないのだ。例えば、動詞がよく分かっていない生徒は、不定詞を教わったらかなり混乱するだろう。だいたい不定詞という用語が分かりにくい。そういう品詞があるのかと思ってしまう。更に、不定詞の形容詞的用法や副詞的用法が出てきたら、チンプンカンプンかも知れない。

 先ず、品詞の分類をしっかり教えなければならない。品詞は文法の基礎だからだ。だが、日本の品詞の教え方は本当に下手だ。最初にどういう品詞があるか、しっかり教えるべきだ。英米の学校文法にならって八品詞とすれば、英文法には、名詞、代名詞、動詞、形容詞、副詞、前置詞、接続詞、間投詞の八つの品詞があると教える。先ず、これを丸暗記しなくてはならない。

 次に、各品詞を説明するわけだが、この説明の仕方がほんとうに下手である。

 名詞は物の名前を表すとか、動詞は動作を表すとか説明することが多いが、これでは、余りに適用範囲が狭い。「机」や「本」は、物の名前だから名詞だということはすぐ分かるが、では「美」とか「真理」は物の名前ではないから名詞ではないかというと、名詞である。「動く」や「起きる」は、動作を表すから動詞であることは誰にでも分かるが、「感じる」や「思う」は精神活動を表すから動詞ではないかというと、動詞である。

 動詞は動作や精神活動を表すといっても充分ではない。「ある」はどちらでもないが動詞だからだ。意味によって品詞の定義をすることには限界がある。

 英語には八品詞あって、30万、40万ある英単語は全て八つのどれかに属すと説明すればいいのである。品詞を一つずつ定義しようとしても、うまくいかない。全体を捉らえなくてはいけない。

 他にも、文法教育には問題がある。subjunctive moodは仮定法と訳すことが普通だが、接続法と訳さないと詐欺になることがある。bare infinitiveを原形不定詞と訳すのは、大間違いだ。toなし不定詞とすべきである。文法用語の訳がおかしいのだから、日本人に英語ができる人が極端に少なくても何ら不思議はない。

 「教師が話せないから、生徒も話せない」という見方もあるが、これは本当に見当違いだ。私は中学生の時、英会話ができると自慢していた教師二人に英語を教わったことがあるが、二人とも教えることに熱心ではなかったし、説明が下手でひどい目に遭った。一人は和訳もしないで、教科書を読んでばかりいた。

 「英語はあまりできない」と白状していた先生の方が、一生懸命教えてくれ、為になった。(おかしなことを教えられたこともあるが。)

 また、私が英語を教えた経験から言うと、生徒に会話を教えようとしても駄目だ。ごく簡単な英文でもノートを見ないと言えない。読む練習が足りないからだろうが、生徒に英語を話せるようになろうという意欲がないことも事実である。勉強だからやっている、試験があるからやっているのである。

 だから「文法や読解中心で育った教師に、明日から会話教育を求めても」(社説)実行に移せる訳はない。


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