ノーベル賞の受賞はめでたいが、騒ぎはご免だ [*マスコミ]
【2012年10月09日】-とうとう京大の山中伸弥教授がノーベル医学賞を取った。数年前から候補に挙がっていたから、「やっともらったか」という感じだ。
日本人が受賞したことはめでたいが、受賞の一報に触れた時ちょっと憂鬱になった。マス・メディアはまた喧騒を繰り広げるだろうと思ったからだ。
案の定、大騒ぎだ。昨日は受賞したと騒き、今日は教授の「一夜明けた心境」を放映した。今日も昨日も特別なことは言わない。一言で言えば「うれしい」と語るのみだ。
ノーベル賞だから、教授の言葉には特別な重みがあるが、受賞者は同じようなことを言うので、もう聞かなくてもいい。
テレビ局は今回も、山中教授の母校である小学校や高校にカメラを持ち込んで、教師が生徒に「この学校の卒業生がノーベル賞をもらいました」と話す場面も撮影した。
日本人が受賞するたびにテレビはこのような放送をするが、果たして意味があるだろうか。受賞者とゆかりのある人は大抵うれしいが、わざわざテレビや新聞が取り上げることはないと思う。(学問上のライバルは喜んでいないはずだ。)
ワイド・ショーは時間が長いからまだいいが、正時のニュースなど短い番組が母校の様子を放映すると違和感を覚える。
マスコミは「めでたい」と騒いで、深く考えない人間を増やそうとしている気がする。
ジェフリー・リーチの講演の感想 [英語学]
【2012年10月09日】-昨日はジェフリー・リーチの講演に行った。感想を一言で言うと、あまり面白くなかった。
演題は「近年の英文法研究における成果」だが、40年くらい前から出た体系的な英文書5冊を比較した。そのうち3冊にリーチ自身が関わったので、自分の経歴から話し始めた。
文法書については色々考えてきたのに、あまり面白いと思わなかった。原因を考えたら、例文を挙げずに抽象的論評だから興味がわかなかったように思う。また早口でマイクの具合がよくなかったので、分かりにくかった。
だが「口語と文語の違いは、表現の頻度の違いだ」「ハドルストンのThe Cambridge Grammar of the English Languageは他の4冊とは違って、言語一般の特性から始めて英文法を説明しようとしている」など重要な指摘をしていた。行った甲斐はあった。